「来訪者」(永井荷風)

妖しげな部分は全くありません。

「来訪者」(永井荷風)
(「文豪怪談傑作選・昭和篇」)ちくま文庫

悪夢に襲われ、
熟睡できなくなった
「わたくし」は、
不思議な力を持つ酌婦のもとへ
通いつめる。
その女と夜を過ごすと、
悪夢から逃れることが
きたのだ。
しかしある夜の夢の中で、
蝙蝠からその女は
魔性であることを告げられる…。

という、なにやら怪しげな内容。
しかしこれは
本作品の粗筋ではありません。
作中に登場する
怪談「怪夢録」の筋書きです。
本書「文豪怪談傑作選・昭和篇」の
冒頭に収録されている
永井荷風の本作品、
怪談そのものではなく、
自作の怪談を
偽書された作家の私小説です。
したがって、
妖しげな部分は全くありません。

では、読みどころは何か?
それはこの作品が、
荷風を巻き込んで実際に起きた
偽書事件を題材にし、
荷風が犯人を
糾弾している点なのです。

登場する老作家「わたくし」は
荷風自身がモデルであり、
その作家のもとに出入りしている
二人の青年・白井と木場は、
それぞれ平井呈一、猪場毅という
実在の人物なのだそうです
(巻末解説より)。

荷風はもともと人間嫌いであり、
他人との交流を
好まなかったにもかかわらず、
この二人には
絶大な信頼を寄せていました。
しかしその交流も、平井が
荷風名義の原稿や色紙などの
偽作を売ったことが露見し、
破綻してしまいます。

本作品にはその顛末が、
ほぼ事実通りに描かれていて、
いわば紙面による懲戒ともいえる
内容なのです。
それがもとで
平井は文壇での立場を失います。
民事裁判による損害賠償請求など
一般的でなかった時代の、
考え得る最も効果的な
私的制裁方法だったのでしょう。

ところが、本作品を読み通すと、
そうした怨恨的な色彩は
感じられません。
それどころか、
隣の未亡人と白井の不貞を
おもしろおかしく
描出しているとしか思えない設定が
目立つのです。

私小説はあくまで私小説であり、
エッセイやルポとは違います。
事実をそのまま書いたというよりも、
小説としての面白さが引き立つよう、
相当な脚色が入ったと
みるべきでしょう。

さて、実在の人物・平井は、
調べてみるとその後、
海外の怪奇小説を次々に翻訳、
発表していました。
怪奇小説翻訳家としての手腕は
非常に大きなものがあったようです。
少なからず「怪談」と縁の深い本作品。
怪談傑作選に収録されるのも
うなずけます。

(2019.2.27)

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