「肉体の悪魔」(ラディゲ)②

戦争が破壊したものは

「肉体の悪魔」(ラディゲ/中条省平訳)
  光文社古典新訳文庫

あのとんでもない時期に
僕に降りかかった厄災は、
ふつう十二歳という年齢では
まず経験しないものだ。
僕は子供として
振る舞うほかなかった。
あの戦争が何であったかを
想像してほしい。
あれは、
四年間の長い夏休みだった。…。

前回の記事は、実は3年ほど前に
他のブログに投稿した記事を
一部書き直したものです。
今回再読し、
それとはまた違った角度から
本作品に接することができました。
本作品の最も重要な部分は、
最初の1頁だと感じたのです。
12歳という、
大人への成長を始める時期に
勃発した第一次世界大戦。
その存在を無視して
本作品を語ることなど
できないのではないかと思うのです。

戦争が破壊したものは、
街並みや人の命だけではないのです。
子どもたちの描く将来像を
根こそぎ奪ったのだと考えられます。
努力して学業を修めても、
それは将来を
保証するものではなくなったとき、
果たして人は
学ぼうとするのでしょうか。
周囲に気配りして生きようとしても、
世の中が無秩序へと
変化しようとしたとき、
果たして人は社会性を
大切にしようとするのでしょうか。

前回、「僕」の
精神の若さ・幼さに言及しました。
それは成長していなかったのではなく、
「僕」が無意識に
成長を拒んだと考えることも
できるでしょう。

戦争がはびこる社会の示す将来には、
学校も、友人も、家族も、社会も、
もはや意味をなさないものであり、
そこに執着しなければならない
意義も意味も義務もないのです。
だから「僕」はそれら一切を捨て去り、
人妻・マルテとの
何の未来もない関係に
突き進むしかなかったのです。
自分の感情の流れるままに
すべてを任せて。

本作品に、戦争に関わる
直接的描写はありません。
「大砲の音が聞こえてきた。
 モーの付近で
 戦闘がおこなわれている。
 うちから十五キロほど離れた
 ラニーの近くで
 ドイツ軍の槍騎兵が捕虜になった、
 と人びとは噂していた。」

という記述があるだけです。
しかし、戦争の影は確実に
全編を覆い尽くしているのです。

さて、第一次世界大戦の終結は
1918年11月11日です。
この2ヶ月後に
マルトは男の子を出産し、
さらに数日後、命を終えます。
それにより
「僕」の「四年間の長い夏休み」も
終わるのです。

戦争の終わった平和な現実に
「僕」の物語が続かなかったように、
作者・ラディゲ自身も
戦争が終わった5年後に生を閉じます。
何かの暗示のように思えてなりません。

(2019.4.2)

Alexas_FotosによるPixabayからの画像

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