「海うそ」(梨木香歩)②

老いとは自分の中に時間が降り積もること

「海うそ」(梨木香歩)岩波現代文庫

前回取り上げた本作品、
「破壊による喪失」が
テーマであると述べました。
作者・梨木は、しかし、
失われていくことを
嘆き悲しんでばかりいるのでは
ありません。
主人公の周囲の設定と、
表題「海うそ」に
それが現れています。

一つめの「主人公の周囲の設定」です。
主人公・秋野自身が、
「喪失」を抱えて
遅島を来訪しているのです。
彼は許嫁、それもお互いに
愛し合っていたと思われる女性を、
理由もわからず
「自殺」という形で失っています。
それに起因して両親も失いました。
さらに研究室の主任教授
(おそらく主人公の上司)までも
亡くしています。
自分を支えてくれるはずの
将来の伴侶、
そしてこれまで支えてくれた両親、
仕事の上での心の拠り所、
そうしたものをことごとく
「喪失」しての来訪だったのです。

「決定的な何かが
 過ぎ去ったあとの、
 沈黙する光景の中にいたい。
 そうすれば人の営みや、
 時間というものの本質が、
 少しでも感じられる」

彼の遅島訪問の理由の根底です。
だからこそ彼には「失われるもの」への
共感があるのです。
そしてそれは作者・梨木の
胸中でもあると思うのです。

もう一つの「表題・海うそ」です。
海うそは島のある場所から見える
蜃気楼のことです。
秋野が50年後に再訪したときにも、
海うそだけはかつてと変わらず
見ることができたのです。
変わらなかったのは幻だけ。
それは確かに
むなしいことなのですが、
角度を変えると
違った面も見えてきます。
本質的に永劫不変のものなど
この世にはないのです。
すべてのものの本質は空、
つまり「色即是空」です。
世のすべては
蜃気楼のようなものなのかも
しれません。

作者・梨木は、
「喪失」はしかたのないこととして、
あるいは変化の一つの形として、
さらには自らの内部に
蓄積されるものとして、
それ自体を丸ごと前向きに
受け止めようとしているように
思えるのです。
「喪失とは、
 私のなかに降り積もる時間が、
 増えていくことなのだった。」
「喪失が、実在の輪郭の
 片鱗を帯びて輝き始めていた。」

人もまた老いながら
いろいろなものを失っていきます。
しかしそれは自分の中の
何かが目減りしていくのではなく、
自分の中に時間が
降り積もることなのだと
気付かされます。
50歳を超えた大人が読むべき本に、
ようやく巡り会うことができました。

(2019.4.26)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA