「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー)①

第1部は多彩な登場人物の蠢き

「カラマーゾフの兄弟1~5」
 (ドストエフスキー/亀山郁夫訳)
  光文社古典新訳文庫

父親・フョードル・カラマーゾフは
粗野で下品で精力的、
好色きわまりない男。
長男・ドミートリーは恋人を巡って
フョードルと対立する。
冷徹な次男・イワンと
聡明な三男・アレクセイも
家に戻り、一家は次第に
ぎくしゃくし始める…。

誰しもが手に取ろうとする
作品ではないでしょう。
また、読書好きであっても
じっくり向き合うのに
相当な時間を必要とするはずです。
実は私も購入してから2年間、
読むチャンスを
見つけられませんでしたが、
この10連休を利用して
一気に読むことができました。

私が手にした光文社古典新訳文庫版で
全5巻、解説等も含め総頁数2550、
第1部から第4部+エピローグという
大長編です。
一言で言えば、カラマーゾフ家の三兄弟、
長男・ドミートリー、次男・イワン、
三男・アレクセイの物語なのですが、
時間的には
決して壮大な筋書きではありません。
第1部は三人の生い立ちから
現在までのあらましが
含まれているとはいえ、基本的には
フョードル殺害事件の前々日、
第2部は事件の前日、
第3部は事件当日
(ドミートリーの前々日の行動を含む)、
第4部は事件の翌日以降の数日間
(それも裁判の1日が主)という、
全5巻で約1ヶ月の動きに
過ぎないのです。
それがなぜ大長編になるのか?

それは本作品が、
登場人物の会話を幾層も積み重ね、
そこから人物の個性や性格、
言葉に現れない考え方などを
読み手に伝えようとする
構造になっているからです。
だからたった1日の動きが
約500頁もの重厚なものと
ならざるを得ないのです。

その登場人物も多岐にわたります。
果たしてこの場面で必要だったのかと
思われる人物もいるのですが、
読み終われば
決して不必要などではなく、
しっかりと作者の意図を伝えるべく
躍動していることに
気付かされるのです。

これがドストエフスキーの作風であり、
彼の「言語」なのです。
あまりにも巨大であり、
一読しただけでは全貌を
正確に把握することなど
不可能な作品でした。
これからも部分的に読み込み、
作品世界の深奥を味わうことが
必要だと実感した次第です。

さて、その始まりの第1部、
大長編を彩っていく一癖も二癖もある
登場人物たちの蠢きこそが
味わいどころでしょう。
読み終えたとき、「カラマーゾフ」は
こんなに面白い作品だったのかと
唸らずにはいられないはずです。

※本作品の本質についての研究は、
 古今東西の専門家が
 すでに十分に行っています。
 現代の世で本作品に接する
 私たち一般人は、
 この巨大な構造物のような作品から
 受ける印象を、
 個人の素直な感性で
 味わうことが肝要なのでしょう。

(2019.5.7)

Simon MatzingerによるPixabayからの画像

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