「曲った背中」(吉行淳之介)

ミステリー小説と錯覚するような、異様な緊張感

「曲った背中」(吉行淳之介)
 (「百年文庫009 夜」)ポプラ社

行きつけの安酒屋で背中を丸めて
一人で飲んでいる「男」に、
「私」は酔った勢いで話しかける。
それがきっかけとなり、
「私」は男から
身の上話を聞かされる。
「男」は「私」に、
自分が愛した女性との、
不幸ないきさつを語り始める…。

登場人物は「私」「男」、
それとほんの少し「男の妻」だけです。
具体的な個人名もなく、
それらの身辺の情報も
必要最小限しか
提示されないにもかかわらず、
言葉にできないような緊迫感を持って
物語は進行します。

「私」が「男」に語りかける、その一言が、
まずは異様な緊張感を孕んでいます。
「ヘミングウェイの
 殺人者の背中のようだ」

現実世界なら、見ず知らずの人に
そんな失礼な言葉を
投げかけないでしょうし、
投げかけたら
黙殺されるか喧嘩になるかの
どちらかでしょう。
しかし、お互い冷静にやり取りします。
「その小説に出てくる人殺しが、
 私のような背中を
 していたというのですか」
「殺しにくる男がいる。
 それを、椅子に坐って、
 凝っと待っているんですよ」
「すると、その男は、
 殺される立場なんですね」
「殺されるのです」
「なにも、抵抗しないで」

こうしたやり取りの末に、
「私」は「男」のアパートで
飲み直しをするのです。

数日後に再会した後、
「男」が「私」に語り始めた、
愛した女性との不幸な関係にも、
張りつめた空気が漂っています。
町内の噂の未亡人と
関係を持った「男」は、
それを誰にも
悟られないように過ごしていた。
空襲の際、
危険だと言われている防空壕に、
女は一人で留まった。
「男」は別行動をとった。
空襲が終わって女を捜し出すと、
女はすでに発狂していた。
重い過去が語られます。

そして、「男」が語る現在の心境も、
切迫したものを感じさせます。
「分らないのです。
 犠牲になるという気持ちは、
 おそらく思い上った
 気持なのでしょう。
 しかし、自分で自分を
 罰しているという気持も、
 同じく思い上ったものかもしれない。
 それ以上は、よく分らないのですよ」

「男」の背負っているものの
大きさ、重さに、
身震いするような感覚を覚えます。

ミステリー小説と錯覚するような
ピリピリした空気の漲る展開です。
恋愛ものか何かだと思っていたのに、
いきなり殺人事件に展開したような、
落ち着かない気持ちで
読み進めました。

吉行淳之介の小説は
あまり読んだことがありませんでした。
こんなに魅力的な作品を
書いていたなんて。
まだまだ勉強不足です。

(2019.5.13)

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