「冬虫夏草」(梨木香歩)①

「変化(へんげ)したもの」なのです

「冬虫夏草」(梨木香歩)新潮文庫

亡き友の家守をしながら
物書きを続ける綿貫征四郎。
愛犬ゴローが姿を消して
半年が経ち、
綿貫はいてもたっても
いられなくなる。
意を決して鈴鹿山中に
ゴロー探索の旅に出るが、
そこで出会ったものは…。

昨日取り上げた「家守綺譚」の続編です。
当然、旅の途中で出会うものは、
河童の子、若妻の幽霊、天狗、
イワナの夫婦、赤竜、…。
これら本作品の「異なもの」は、
その性質が明確です。
「変化(へんげ)したもの」なのです。

幽霊はその身が朽ちた人間が
現世に想いを伝えるために
「変化」したもの、
イワナの夫婦は自らが仕える龍神の
帰還を待つ間人間の姿に
「変化」したもの、という具合です。

河童の場合は、四季の変化によって
姿形を「変化」させます。
「河童たちは、
 秋になると河原に広げた
 所帯道具をたたんで山へ入る。
 山では、山童となって、
 木の根元などで
 日向ぼっこをして体を温めている。」

イワナ夫婦は営む宿屋を
河童の子・牛蔵に譲り、
水へ還っていきます。
綿貫は心配します。
「宿に常駐するとなると、
 君の生活の仕方と折り合うのかね。
 夏と冬とではそれ、
 住む場所も生活の仕方も
 ちがうというではないか。」

綿貫の問いかけに
牛蔵はこう答えます。
「それは生物一般に
 云えることではないでしょうか。
 そのときどき、
 生きる形状が変わっていくのは
 仕方がないこと。
 それはこういう
 閉ざされた村里に住む
 人びとでも同じことです。
 人は与えられた条件のなかで、
 自分の生を実現していくしかない。」

自然の驚異を前にし、
抗うことはできずとも、
それを正面から受け止め、
真摯に生きていこうとする。
それが日本人本来の
生き方だったと考えられます。

梨木は著作「不思議な羅針盤」で
次のようにも述べています。
「生物は、我が身に降りかかった
 危機的な状況を、
 どうにも避けられないものとしながら
 同時に「チャンス」のようにも捉えて、
 もっと創造的に、また内省的にも、
 自らを『変えていく』可能性を
 持っている」

柔軟に自らを「変化」させ、
周囲の自然に対して
もっとも適した形状を得る。
それが自然と一体となることであり、
自然の中で生きるということなのです。
人もまた森羅万象の一部である限り、
避けて通ることはできないはずです。
梨木作品、やはり人としての生き方を
考えさせられます。

(2019.5.29)

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