「城」(カフカ)②

まさしく「忖度」です

「城」(カフカ/前田敬作訳)新潮文庫

仕事の手掛かりのつかめないKは、
直接の上司である村長に対し
直談判に及ぶ。ところが
村長によると、村では測量士を
必要としていないのだという。
そして村長の口から、
この「城」の複雑にして
実体の掴めない
行政機構の仕組みが明かされる…。

わけのわからない本作品で、
カフカが一体何を
描こうとしていたのか?
前回はその一つとして
「人間の存在の不安定さ」について
書きました。
もう一つ考えられるのは
「支配と被支配の関係」です。

「城」の中に入ることができるのは
役人と一部の人間だけであること。
役人は厖大な書類を
処理する必要に追われていて、
それが「行政機構」であること。
役人が直接住民に
指示を出すことはないこと、
役人のほとんどは
村民の前には姿を現さないことなどが
村長の口から語られます。

それでありながら、
村人たちは役人と「城」を
絶対的なものであると信じ、
それらを敬い、
それらの力を恐れ、
それらの意思を汲み取り、
それらの意に沿おうと
動いていくのです。
そうした村の実態が、
村の娘・オルガとのやりとりから
明らかになっていきます。
つまり、「城」の絶対的権力には
根拠など存在せず、
役人は民衆を縛りもしないどころか
明確な命令すら出してはいないのです。
村人が姿の見えない役人の影に怯え、
すべてが監視されていると思い込み、
「城」の意思に反していると考えられる
行動をとるKを糾弾していくのです。
つまり、
下々の民衆の勝手な思い込みによって
絶対的権力が創り出されているのです。

まさしく「忖度」です。
流行語になったために世間では
「日本特有の事情」という
誤解が生じていますが、「忖度」は
民主主義国家の官僚機構による
行政システムについてまわる
ものなのだと考えるべきです。

ここで押さえておきたいのは、
本作品の執筆が
1922年(大正11年)であることです。
この年にイタリアで
ムッソリーニのファシスト党が
権力を握ったのを皮切りに、
ヒトラーによるナチス=ドイツ、
そして帝国主義を掲げた日本など、
ファシズムが台頭した時代なのです。
こうした独裁国家的絶対権力ではなく、
「同調圧力」による実態不明な
民主主義的官僚機構的絶対権力の
設定こそ、本作品の肝なのです。

本作品は100年後の世界を先取した
寓話と見るべきなのかも知れません。
カフカの余命がもう少し長かったら、
この作品世界に
どのような結末を加えたのか。
そこに現代社会の行く末が
書かれてあったかも知れません。

(2019.7.12)

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

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