「地震予知を考える」(茂木清夫)

地震予知は本当にできるのか

「地震予知を考える」
(茂木清夫)岩波新書

地震予知は本当にできるのか。
疑問をぬぐい去ることができません。
あれだけ首都直下型地震や
東南海地震を警戒していたのに、
東北地方太平洋沖地震は
誰も予知できなかったのですから。

さて、本書の発表は1998年。
兵庫県南部地震のあとに
出版されたものです。
いささか鮮度が落ちているのですが、
かえっていろいろなものが
見えてきます。

「地震予知計画をすすめてきたのに、
この大震災を予知できないのでは
何の予知計画かという声が、
国民からも研究者からも
もちあがった。」
東日本大震災のことではありません。
阪神大震災のことです。
1995年に地震予知の
空しさを思い知らされ、
2011年に再び私たちは、
地震学の無力を痛感させられたのです。
同じことのくり返しか、
全く進展していないのか、
やはり地震予知は不可能だったのか、
そんな虚脱感を感じてしまう
本書の読み始めでした。

しかし、読み進めるうちに、
いくつかわかってきました。

地震予知を難しくしている一つは
予算不足です。
日本全国すべてを詳細に観測するには
膨大な予算が
必要であるということです。
だとすれば、
どの地域がどれだけ危険であり、
その回避のために
どれだけの予算をかけるべきか、
しっかりとした議論が
なされるべきだと感じました。

二つめは、
地震には「個性」があるということです。
この地域ではこうしたことが
前兆としてとらえられるけれども、
他の地域ではあてはまらない。
それぞれの地域に応じた研究を
積み重ねる必要が
あるということでしょう。

三つめは、
経済的混乱を考えると、
どのように予知した内容を伝達するか、
課題が多いということです。
○○地域に、近い将来大地震が起きる、
と予知しても、
それが明日なのか数ヶ月後なのか
数十年後なのかわからなければ、
経済活動の萎縮を招くだけで
意味がないからです。
この点がもっとも難しいでしょう。

本書を、阪神大震災を
予知できなかった地震学者の弁明書、
などととらえては
いけないと思うのです。
私たちの国は世界有数の地震国です。
その上、いくつもの無謀とも思える
原子力発電所を抱えています。
「地震予知は無理」と決めつけて
いいものでは決してありません。
一歩ずつでも半歩ずつでも
前進していく必要があるのです。

地震予知は本当にできるのか。
そうした問いかけが
過去のものとなるよう、
私たちは英知を結集させる
必要があります。

(2019.10.4)

fujiwaraさんによる写真ACからの写真

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