「多読術」(松岡正剛)

総じていうと「読書って何でもあり」

「多読術」(松岡正剛)
 ちくまプリマー新書

以前にも書きましたが、
読書に関わる新書本は幾多もあり、
私もかなりの数を購入しています。
それらを読んで
自分の読書スタイルを変えよう
などという気はさらさらありません。
受け入れられない部分は
そのままスルーし、
納得できる部分は「そうだよね」と
うなずきながら読み進めました。

本書の著者・松岡正剛氏は
文筆家兼編集者であり、
書評サイト「千夜千冊」を
立ち上げていることで有名です。
私も「千夜千冊」を参考にしながら
読むべき本を探してきました。
ただ、そこで取り上げられている本は
あまりに高尚すぎて
私には手を出せないものが
多いのですが。

本書は聞き手の質問に答える形で、
著者が自分の読書論を
展開していく構成です。
本書を読んで
新しい気付きがいくつかありました。

新しい気付き①
読書は書き手と読み手のコラボ

「読書というのは、
 書いてあることと
 自分が感じることが
 「まざる」ということなんです。
 これは分離できません。」

確かにその通りです。
「読む」という行為は、
常に自分の中の知識や経験と
照らし合わせながら行われるものです。
そしてその本を「読ん」で得た知識が
読み手の中に吸収され、
読み手の内部で
新たな知の体系を創りあげるのです。
当然、読み手によって
それまで積み上げたものが違う以上、
同じ本を読んでも
そこから何が吸収され、
どんなものが創りあげられるかは
異なってくるはずです。
読書はまさに書き手と読み手の
コラボレーションといえます。

新しい気付き②
読書は読む前から始まっている

「本の著者やタイトルや
 サブタイトル、
 ブックデザインや帯や目次などは、
 読む前から何かを見せている。
 そういった、読む前の
 本の姿や雰囲気も、実はもう
 「読書する」に入っている。」

私は毎週末、大型書店や古書店
あるいは図書館に足を踏み入れ、
癒やされる感触を満喫しています。
それは、そうした
数多くの本の存在する空間に
身を置くことにより、
本の表紙や背表紙から厖大な情報を
受け取っているからなのだと
気付いた次第です。

「多読術」というタイトルではあるものの
多読の方法論ではありません。
著者は多読がいいとも
言っていないのです。
総じていうと
「読書って何でもあり」という
懐の広い読書論なのです。

読書の入門書としては
文中に登場する本のレベルが
あまりにも高すぎるという
難点がありますが、
本と読書に関心の高い
中高生にお薦めしたい一冊です。

(2019.10.11)

Bibliotheek BornemによるPixabayからの画像

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