「玉碗記」(井上靖)

報われなかった二つの愛情の邂逅

「玉碗記」(井上靖)
(「百年文庫010 季」)ポプラ社

安閑天皇陵から出土した
「玉碗」を見に来いという連絡を、
旧友の桑島から受けた「私」。
考古学には興味はなかったが、
安閑天皇の名は、
十年ほど前に亡くなった
妹夫妻にまつわる
思い出を呼び起こした。
「私」は桑島に会いに行く…。

その「思い出」とは?
「私」の妹・多緒は
「私」の友人の木津に嫁いだものの、
うまくいかないまま
五年足らずで他界する。
木津は、安閑天皇崩御の際に
その妃・春日皇女が
詠んだ歌を持ち出し、
「妃は天皇に愛情は
持っていなかったかも知れないが、
亡くなったときは
やはり悲しかったのだ」と
「私」に解説した。
「私」にはそれが妹に対する
木津の弁明のように思われ、
不快になる。
その木津も戦線で病死し、
「私」は二人の思い出と
安閑天皇の后の歌を
切り離せなくなった、というものです。

その「思い出」を呼び起こした
「玉碗」とは?
安閑天皇陵から出土した、
6世紀ササン朝ペルシアの
カットグラス(硝子器)のことです。
それは正倉院御物の
白瑠璃碗と瓜二つであり、
これらは同じ時に
同じ人の手によってつくられた、
一対のものと考えられるのです。
この一対の硝子器に、歴史上の
謎と物語が絡んでくるのです。

一対はいかなる時か岐れ岐れになり、
一つは正倉院に伝わり、
一つは安閑天皇の
副葬品として埋められた。
安閑天皇陵に収められた方は、
元禄年間に掘り出されたか
土砂が流出したかで地上に現れ、
ある家に百年の間所蔵され、
さらにその後西琳寺に寄進される。
明治の廃仏毀釈の折、
西琳寺が破却されつくすとともに
玉碗も行方知れずとなる。
千何百年かの時を経て、
離ればなれになっていた
その二つの硝子器が再会する、
ということなのです。

作者井上靖は
ここにロマンスを見いだし、
ドラマを重ね合わせたのです。
「私はその時、二個の器物の
 硝子の面に刻まれている
 星形の文様の一つ一つが
 刺すような冷たさで
 薄紅く輝いているのを見た。
 玉碗も白瑠璃碗も、
 それぞれまるで三十何個かの
 薄紅色の輝きの
 半円形の固塊であった。」

一つ所に並んだ二つの硝子器を「私」は、
安閑天皇と春日皇女の
報われなかった二つの愛情の
邂逅と捉えるのです。
そして妹夫婦の恵まれなかった魂にも、
いつかそうした日が
やって来るのかも知れないと
考えるのです。

考古学上の事実から
美しくも悲しい物語を紡ぎ出した
井上靖の傑作です。
短篇でありながら、
長編小説並みの浪漫を湛えています。

(2019.10.26)

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