壮年男性二人の、母への思慕を交錯させた物語
「吉野葛」(谷崎潤一郎)
(「吉野葛・盲目物語」)新潮文庫
後南朝を題材とする歴史小説を
かねて構想していた「私」は、
秋の吉野で
案内役の友人・津村から、
彼の母親に関わる
身の上話を聞かされる。
彼は遊女だった母親の故郷を
丹念に調べ上げていたのだった。
二人は奥吉野へと向かう…。
一読しただけでは、
何ともとらえどころのない作品です。
「小説」なのですが、
「その一 自天王」を読んだだけでは、
随筆、いや紀行文のような
印象さえ受けます。
巻末の井上靖による解説にも、
「随筆的小説と言ってもいいし、
逆に小説的随筆と言っても
いいかもしれぬ」と
書いてあるくらいです。
しかし、
「その四 狐噲」以降を読む限り、
純然たる小説なのだと感じます。
津村は壮年にさしかかっても、
依然幼い時分に亡くした
母親の面影を追いかけているのです。
そして「私」もまた幼少の折、
母に連れられて見た記憶と、
眼前に広がる吉野の風景とを
重ね合わせ、母との思い出を
手繰り寄せているのです。
本作品は、壮年男性二人の、
母への思慕を
交錯させた物語なのです。
そして最後の「その六 入の波」では、
「私」を吉野に誘った
本当の理由について
津村が語ります。
母の生まれ故郷・国栖で見つけた
遠縁の娘を嫁にもらいたいが、
意見を聞きたい、
ということなのです。
津村がその娘を見初めた理由は、
「何処か面ざしが
写真で見る母の顔に
共通なところがある。(中略)
研きように依ったら
もっと母らしくなるかもしれない」。
「私」の母に対する心情もまた
「その四 狐噲」に、
「自分の母を恋うる気持ちは
唯漠然たる
「未知の女性」に対する憧憬、(中略)
過去に母であった人も、
将来妻となるべき人も、
等しく「未知の女性」であって、
それが目に見えぬ因縁の意図で
自分に繋がっていることは、
どちらも同じなのである」。
と記されてあります。
津村も「私」も、
作者・谷崎の分身なのかも知れません。
本作品は、谷崎が
自身の母を「恋うる気持ち」を
作品として結晶化させるために、
「津村」という
母の故郷を探し出す人物を創造し、
彼とともに取材する
「私」という人間を
作り出したのでしょう。
そうした作品の主題を
あえて隠すかのような構造の妙、
吉野の風景の美しさを
重層的に綴った筆致、
虚実入り交じった作品構成など、
小説としての魅力を
数多く内包している谷崎の傑作です。
時間をおいてもう一度、
いや死ぬまでに何度も
読み返したい作品です。
※後南朝を題材とする
歴史小説の構想自体も
フィクションと考えられます。
終末には「私の計画した歴史小説は、
やや材料負けの形で
とうとう書けずにしまったが…」
とありますが、
大谷崎が「材料負け」など
するはずがありません。
(2019.11.1)