「名人伝」(中島敦)①

だとするとここで中島が狙ったものは何か?

「名人伝」(中島敦)
(「李陵・山月記」)新潮文庫

天下第一の弓の名手を
志した紀昌は、
瞬きをしない修練に二年、
的を睨む修練に三年を費やし、
師・飛衛と並ぶに至る。
さらに上を望む紀昌に、
飛衛から霍山の甘蠅老師を
訪ねることを奨められる。
老師は紀昌に
「不射の射」を説く…。

「不射の射」とは、弓も矢も使わず、
素手で矢を放つ動作だけで
鳥を落とすというものです。
いわゆる「気」でしょうか。
格闘系の漫画などではよく見られます。
その達人のもとで9年間修行し、
紀昌は「名人」となって
里帰りするのです。

さて、ここで問題になるのは、
「紀昌は本当に真の名人だったのか
どうか」ということです。
真の名人だったからこそ、
妙技を披露しなくとも
周囲の人々を教化できたとも
考えられるし、
真の名人ではなかったものの
周囲が彼を偶像化したとも
考えられるのです。
作中ではその点に
一切触れられていないため、
読み手がどう読み解くかが
問題となります。

邯鄲の町では、
誰も紀昌が矢を射る様を見ていません。
人々が彼を
「名人」として崇め奉ったのは、
飛衛が「之でこそ初めて天下の名人だ。
我儕のごとき、
足下にも及ぶものでない」と
絶賛したからなのです。
飛衛とて希代の弓の使い手、
その名手が「足下にも
及ばない」のですから、
もはや神域に達していると
人々が思い込んだとしても
不思議ではないのです。

注目すべきは末尾に付されている、
紀昌晩年の逸話
―弓を見てもその名称も用途も
思い出せなくなっていた―です。
「不射の射」を極めすぎて
ただの「不射」に成り下がってしまったと
考えることができます。
人々が「名人」として
賞賛していた人物は
ただの偶像であって、
実は単なる痴呆の老人だった…。
だとすると
ここで中島が狙ったものは何か?

おそらくは権威ある者の言を盲信し、
無力の者を偶像化して祭り上げる
民衆の愚かさの指摘とともに、
「名人」とは大なり小なり
所詮そのようなものであるという
あざけりを含んだ
揶揄ということでしょう。

確かに、身のまわりを見ても
そのような例は数多く見られます。
名の知れたガイドブックが
推奨したために
瞬く間に「一流店」といわれるに至った
レストランや、
TVが取り上げた健康法が
一夜のうちに拡がりを見せるなど、
盲信の最たる例でしょう。

と、私は長らくそう思っていました。
でも、50を過ぎて再読すると、
どうも違うのではないかと
思うようになりました。
次回に続きます。

(2019.11.17)

SilentpilotによるPixabayからの画像

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