「名人伝」(中島敦)②

十牛図に照らし合わせたとき

「名人伝」(中島敦)
(「李陵・山月記」)新潮文庫

飛衛をはじめ邯鄲の人々は
紀昌を天下一の名人と認めて
絶賛するが、
紀昌はその名人芸を
決して披露しようとしない。
「弓をとらない弓の名人」として
紀昌の名声は高まる。
晩年の紀昌は、
ついには弓の名称すら
忘れ去るに至る…。

前回、「紀昌は本当に真の
名人だったのかどうか」という
問題提起に対し、
否という結論を提示しました。
弓の存在すら忘却した紀昌は、
単なる偶像化された「名人」に
過ぎないのではないかという
視点からです。
しかし、最近再読し、
そうではないのではないかと
考えるようになりました。

紀昌の心からは射に対する
執着心・希求心がすべて消え、
「無」の境地に入ったと
考えることができます。
紀昌はその存在自体が
「射」そのものとなり、
だからこそ弓を手に取る必要は
なかったのではないでしょうか。

そう考えるようになったのは、
「十牛図」の考え方に出会ったからです。
「十牛図」とは、中国に伝わる、
悟りにいたる十段階を
十の図と詩で表したものです。
深い意味は
私も十分に理解していませんが、
おおむね次の通りです。

第一図:尋牛
迷い出た牛を探しに行くが
牛は見つからない。
第二図:見跡
牛の痕跡を見つけ出す。
第三図:見牛
ついに牛を発見する。
第四図:得牛
見つけた牛を捕獲できた。
第五図:牧牛
捕まえた牛を
飼い慣らすことができた。
第六図:騎牛帰家
牛をつれて(牛と一体となり)
家に帰ることができた。
第七図:忘牛存人
家にいるときは牛を忘れている。
第八図:人牛倶忘
牛の存在も自分の存在も忘れる。
第九図:返本還源
元に戻り始まりに帰る。
第十図:入鄽垂手
世俗の世界に入り、
人々を悟りへ導く。

この十牛図に照らし合わせたとき、
弓の名手・飛衛は第六図:牧牛、
「不射の射」を会得した甘蠅老師は
第七図:忘牛存人、
そして晩年の紀昌が達した境地は
第八図:人牛倶忘の段階と
考えることができます。

第八図には、
実は何も描かれていません。
「空」の世界なのです。
そこには
それまで習得してきたことの一切、
そして迷いはおろか
悟りさえも忘れ去られた世界です。
これこそが
紀昌の到達した世界なのです。

考えてみると芥川や太宰に見られる、
世間に対する皮肉のような要素は、
中島の文学には薄いのです。
中島の文学に対する姿勢は
極めて真面目で真摯です。
そして中島には祖父や伯父の影響により
漢学の素養もありました。
十牛図に見られる
中国の禅の思想については
十分に理解していたはずです。
こう考えたとき、やはり晩年の紀昌は
「真の名人」であり、本作品は
やはりある名人の一代記として
読み味わうべきなのでしょう。

(2019.11.17)

Mary GorobchenkoによるPixabayからの画像

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