「だれがコマドリを殺したのか?」(フィルポッツ)

「赤毛」以上の衝撃が読み手を襲います

「だれがコマドリを殺したのか?」
(フィルポッツ/武藤崇恵訳)
 創元推理文庫

「だれがコマドリを殺したのか?」

最愛の妻・
ダイアナの死から一年半。
ノートンの人生は
好転の兆しを見せ、
彼はかつて思いを寄せていた
ネリーと結婚式を挙げる。
だがその喜びもつかの間、
式が終わった直後、
彼は警察に捕縛される。
ダイアナを毒殺した
犯人として…。

あの江戸川乱歩が激賞したことで
知られている「赤毛のレドメイン家」
作者イーデン・フィルポッツ
長篇ミステリです。
「赤毛」以上の衝撃が読み手を襲います。

〔主要登場人物〕
ノートン・ペラム

…青年医師。美しく端整な顔立ち。
 紳士的だが軽率な面がある。
ニコル・ハート
…私立探偵。ノートンの友人。
 事件を調査する。
ダイアナ・コートライト
…ノートンに一目惚れし、
 結婚を決意する。
 「コマドリ」の愛称で親しまれている。
 美貌で行動的。
マイラ・コートライト
…ダイアナの姉。「ミソサザイ」の
 愛称で親しまれている。
ヘンリー・コートライト
…大執事。マイラ、ダイアナの父。
ベンジャミン・バースハウス卿
…準男爵の青年。
 マイラ、ダイアナの両方に
 思いを寄せていたが、ダイアナの
 結婚に伴い、マイラと結婚する。
ネリー・ウォレンダー
…ジャーヴィスの秘書。
 ノートンに密かに思いを寄せる。
ノエル・ウォレンダー
…ネリーの兄。妹の気持ちに
 気づいている。ノートンの親友。
ジャーヴィス・ペラム
…ノートンの伯父。
 ノートンとネリーの結婚を画策する。
ムッシュー・ラウール・カミュゾ
…科学者。
ネーサン・コーエン
…事務弁護士。
アルジャーノン・ハンター卿
…刑事弁護士。
ミリセント・リード…看護師。
ハロルド・ファルコナー…医師。

本作品の味わいどころ①
恋愛五角関係と始まらない殺人事件

読み始めると戸惑いを感じるはずです。
ミステリらしくないのです。
怪しい人物は登場せず、
謎めいた出来事も起きず、
事件はまったく起きないのです。
それどころか主人公ノートンと
ダイアナのときめき熱愛物語が
延々と続くのです。

ところがその熱愛はすぐ醒め、
ノートン・ダイアナ夫婦と
ベンジャミン・マイラ夫婦との間の
四角関係、いやネリーを加えた
五角関係へともつれる
昼メロ的ドラマへと
変化していくのです。

なんと事件が姿を現しはじめるのは
中盤に差し掛かったあたりなのです。
しかもそれが「殺人事件」と確定するのは
全体の7割を過ぎてからです。もし
「だれがコマドリを殺したのか?」という
標題でなかったなら、
あるいはもし探偵ニコル・ハートが
冒頭に意味もなく
登場していなかったなら、
ミステリだとは気づかず、
つまらない恋愛ものとして
本を投げ出している読み手も
いたはずです。

冗長に感じられるかもしれませんが、
この「殺人事件」が確定するまでの
長い部分にこそ、
ミステリを成立させるための
重要な要素が
緻密に組み上げられているのです。
読み終われば
無駄なところなど一つもないことに
気づかされます。
この「なかなか始まらない殺人事件」こそ
本作品の第一の
味わいどころとなっているのです。

本作品の味わいどころ②
読み手のミスリードを誘う罠の数々

至るところに伏線は張られています。
事件は起きないものの、
ところどころに
悪い予感を抱かせるような文章を
ちりばめています。
「そしてこれが由々しき事態を招き、
 ノートン自身は気づかぬまま、
 夢見ているような楽園ではなく、
 まさに地獄というべき現実へと
 飛び込むこととなる」

あまりにも直裁的な表現であり、
違和感しか感じないのですが、
当然のごとくこれは
読み手のミスリードを誘う
作者の巧妙な罠なのです。でも、
その罠にどっぷりとはまるべきです。
そしてその後の展開を
しっかりと受け止めるべきなのです。
ミスリードに自ら陥り、作者の筋書きに
引きずり込まれることこそ、
本作品の第二の
味わいどころといえるのです。

本作品の味わいどころ③
ようやく登場の探偵の解き明かす謎

そうすれば、
後半部でようやく登場する
探偵ニコル・ハートの凄腕を
十分に堪能できるというものです。
そこに隠されていた真相は
まさに驚愕です。
ぜひ読んで確かめてください。
それこそが本作品の最大の
味わいどころとなっているのですから。

本作品の発表は1924年。
今年はちょうど本作品
発表100年にあたるのです。
もしかしたら「このトリックは陳腐だ」と
感じる方もいるかもしれません。
しかしそれは
本作品後の100年間に発表された
作品群に読み慣れてしまったからに
ほかなりません。
本作品をはじめに読んだ
100年前の読者たちはきっと
度肝を抜かれたに違いないのです。
私たちも100年前の大正末期に
精神を引き戻し、虚心坦懐に
本作品を読み味わうべきでしょう。

なお、
「だれがコマドリを殺したのか?」という
標題は、ストレートでありながら
深い意味を内包した文学的な表現です。
それも含めて
存分に味わいたいものです。

(2024.4.19)

〔フィルポッツ「赤毛のレドメイン家」〕

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