「弟子」(中島敦)

徳の人・孔子、義の人・子路

「弟子」(中島敦)
(「李陵・山月記」)新潮文庫

衛の君主・霊は、
南子夫人に籠絡され、
国政を誤っている。
孔子の一行はこの衛の国に入る。
孔子は霊公に謁したが、
南子には赴かなかった。
腹を立てた南子から
呼び出しがあり、
孔子は渋々臣下の礼をとる。
それに対し子路は…。

本作品は、子路が孔子に入門してから
死を迎えるまでを描いたものです。
そして孔子との伝道の旅での
出来事を取り上げ、子路の生き方を、
師の孔子と対比させて描いています。
二人の生き方の違いが
表れ始めているのが、
粗筋として掲げた、
衛の国での顛末でしょう。

南子への挨拶を終えた
孔子が帰ってくると、
子路は露骨に不愉快な顔をするのです。
子路は師が淫女に頭を下げたことが
面白くなかったのです。

孔子一行は衛を後にするのですが、
このあと、子路と孔子の
生き方考え方の違いが
明確になってきます。
子路と孔子の何度目かの議論。
子路は問う。
「結局この世で最も大切なことは、
 一心の安全を計ることに在るのか?
 身を捨てて義を成すことの中には
 ないのであろうか?」

孔子は答える。
「生命は道の為に捨てるとしても
 捨て時・捨て処がある。
 急いで死ぬるばかりが能ではない。」

そう、徳の人・孔子に対して
義の人・子路なのです。

孔子は、
自分の考えを政策に反映させてくれる
国守を探しているのでも、
自分の力で積極的に国の在り方を
変えていこうとしているのでも
ありません。
時間をかけて人の道を
教え諭していこうとしているのです。
それは眼前の一国の
存亡のためなどではなく、
広く人の世の在り方について、
将来に渡って
正していこうというものなのです。
思考の規模が、
空間的にも時間的にも壮大で緻密です。
だから孔子の思想は
偉大な「論語」となって
後世に伝わっているのです。

でも、孔子という人間を
リアルタイムで間近に見たとき、
子路のような直情径行型の人間には
耐えられないことも多いのでしょう。
今、目の前にある不正を
正さずにはいられないのです。

その後、四度目に衛を訪れたとき、
子路は衛に仕えます。
そして衛の国の政変に巻き込まれ、
命を落とします。
義に生きれば命短しなのです。

孔子のような徳が在るはずもなく、
かといって子路のように
義に生きる勇気を
持ち合わせているはずもなく、
ただ粛々と歳を重ねてきた自分には
考えさせられることだらけです。

(2019.11.30)

enriquelopezgarreによるPixabayからの画像

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