「麒麟」(谷崎潤一郎)

「徳」の人・中島、「色」の人・谷崎

「麒麟」(谷崎潤一郎)
(「潤一郎ラビリンスⅠ初期短編集」)
 中公文庫

南子は七人の美女で
孔子をもてなす。
美女たちは幽妙な香を
ふんだんに焚きしめ、
辛辣な酒を次々に杯に注ぎ、
濃厚な肉を卓上狭しと
並び立てる。
そして南子は
部屋の正面を覆った錦の幕を
左右に開かせる。
そこに見えた風景は…。

前回取り上げた中島敦「弟子」を再読し、
確かこの筋書きに似た小説が
ほかにもあったような、と考え続けて
1時間本棚を探しました。
ありました。
谷崎の初期の作品「麒麟」です。

物語は孔子一行が衛の国に入り、
立ち去るまでを描いています。
大筋は中島敦「弟子」の
第九節と同じです。
違うのは、
孔子が南子夫人と会談する顛末に、
谷崎特有のダークなイメージが
付け加えられたことです。

孔子が政治顧問となったことで、
衛の霊公は
善政を敷くようになりました。
それまで霊公を籠絡していた南子は、
当然面白くありません。
そこで孔子を呼び出し、
酒池肉林でもてなし、
孔子をも虜にしようと画策したのです。

孔子は南子に
なびきはしませんでしたが、
結果として霊公は孔子の説く徳よりも
南子の色と美を選び、
再び衛の国は圧政に戻るのです。
そして孔子一行は衛の国を去ります。

つまり、孔子は南子に負けているのです。
色にも酒にも肉にも
負けなかったのですが、
錦の幕の向こうに見た
おぞましい景色には、
なすすべもなかったのでしょう。

さて、問題の孔子と南子の会談は、
論語では次のように書かれています。
 子見南子
  孔子が南子と会った
 子路不説
  子路はこれが面白くなかった
 夫子矢之曰
  孔子は誓いを立てて言った
 予所否者
  私の行いに誤りがあれば
 天厭之
  天が私を見捨てるだろう
 天厭之
  天が私を見捨てるだろう

会談の詳細は一切書かれていません。
しかし、面白い分析を見つけました。
最後の「天厭之」の繰り返しには、
孔子が珍しくいらついている様子が
現れているのだというのです。
そこから「孔子南子会談には
何かがあったに違いない」と想像し、
谷崎が本作品を書いたと
考えられるというのだそうです。

たったこれだけの一節から、
こんな邪な物語を考えつくあたり、
さすが大谷崎です。

論語から「徳」を見いだし
「弟子」を著した中島に対し、
論語から「色」を炙り出し
「麒麟」を創り出した谷崎。
それは「徳」よりも「色」を選んだ
霊公の姿に重なります。
まあ、それが人間としての
正直な在り方なのでしょう。

(2019.11.30)

一夜 廖によるPixabayからの画像

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