「とおぼえ」(内田百閒)

よくわからない状況が不安を呼び起こす

「とおぼえ」(内田百閒)
(「百年文庫030 影」)ポプラ社

秋の宵、帰り道に
「私」がふと立ち寄った氷屋。
ラムネを注文したが、
主人の様子が何やらおかしい。
後ろに人魂が見えると言ったり、
同じ犬の遠吠えが別々の方角から
聞こえてくると言ったり。
主人は数日前に
妻を亡くしたという…。

名随筆で知られる内田百閒。
私はそちらよりも、「冥途」から続く
怪談ものの方が好きです。
本作もその一つです。
「怪談」といえばハーンが有名ですが、
百閒の怪談はハーンと違って、
はっきりしないところが
怖いといえます。

本作品も
はっきりしない怖さが満載です。

一つめ。
夕暮れの帰り道に感じた
恐怖の正体は何なのか?
「私」は以前にも
同様の経験をしているのです。
それについて
「病人の傍から死神を連れ出して
 やったのだと云う事にきめた。」
「どうも、そうではないね。
 そんな事じゃない。」

ではどんなことなのかと
つい言いたくなります。

二つめ。
主人の言う人魂は本当に出たのか?
「私」が振り向いたときには
すでに消えていた人魂。
本当に現れたのか、主人の幻か、
それとも主人の嘘か。

三つめ。
同じ犬の遠吠えが短時間で違う方角から
聞こえるのは本当か?
聞き違い?幻聴?
それともやはり主人の真っ赤な嘘?

四つめ。
夜更けに焼酎を買いに来る
女の正体は何?
夫はすでに亡く、一人暮らし、
でも女は酒を飲まない。
誰のために買うのか?

この、よくわからない状況が
不安を呼び起こすのです。
B級ホラー映画のように、
血みどろのゾンビが恐ろしい顔をして
突然現れるのは
さほど恐ろしいとは思わないでしょう。
現実か非現実か、
読み手が迷うような状況こそ、
読んで怖い小説だと思うのです。

でも、本当に怖いのは五つめです。
店を出ようとした「私」に、
氷屋の主人は
「お客さん、
 本当にどこに帰るのです」
「お客さんは
 この前の道を来られましたな。
 この道の先の方に
 家は有りやしません」
「墓地から来たんでしょうが」

ここでまさかの主客転倒。
ここまで氷屋の主人が
怪しいと思って読み進めたのですが、
最後に語り手の「私」もまた怪しいという
予想外の展開となるのです。
可能性は3つです。
①主人は物の怪であり、
 「私」が逃げ出した
 (主人=幽霊、「私」=人間)、
②主人に怖がられたために、
 戯れとして「自分も亡霊かも」
 という気持になった
 (主人も「私」も人間)、
③「私」こそ妖怪変化
 (主人=人間、「私」=亡霊)。
さあ、どれだ!?

(2019.12.11)

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