「マテオ・ファルコーネ」(メリメ)②

旧世界と新しい価値観との断絶と悲劇を描いた作品

「マテオ・ファルコーネ」
(メリメ/富永明夫訳)
(「集英社ギャラリー世界の文学7」)
 集英社

前回取り上げた本作、
どうにも割り切れないものがあります。

再度読み返してみると、
マテオとその周囲の人物には
いくつかの違いが
見られることがわかりました。
信義が血縁や法律以上に
尊重されるという、
コルシカ特有の「道徳」に対する
姿勢の違いです。

一人目は警察隊長・ガンバ。
彼はマテオの従弟にあたります。
彼はマテオの留守宅で
お尋ね者・ジャネットを捕縛しますが、
マテオの姿を見て思案します。
「もし、親戚なのも構わず、
 おれを狙ってきたとしたら!」

ガンバはマテオが
信義を重んじる人間であることを
知っています。

ガンバはコルシカ島にありながら、
警察に所属し、
無法者を逮捕しているのですから、
コルシカの「道徳」に
背を向けているといえます。
それでいてその「道徳」を
しっかり理解もしているのです。

二人目は妻・ジュゼッパ。
マテオとともに警察隊と出くわし、
お尋ね者・ジャネットの捕縛の報を
聞かされるのですが、
反応は夫婦で異なります。
「めでたし、めでたし!
 あいつは先週、うちの乳山羊を
 盗んだんですからね。」

 (ジュゼッパ)
「可哀そうに!
 やつは腹が減っていたんだ」

 (マテオ)
妻はジャネットを
敵視しているのに対して、
マテオは同胞と捉えているのです。
妻はまったくコルシカ「道徳」を
理解してはいません。

三人目は息子・フォルトゥナート。
逃げこんできたジャネットに対しては
銀貨でつられて匿い、
踏み込んできたガンバに対しては
銀時計で買収される。
人と人との信義以前に、
目先の金銭に惑わされているのです
(10歳の少年ですから
仕方ないのですが)。

整理すると、コルシカ「道徳」規範が
世代によって薄まり、
次第に近代化していることが
うかがえます。
信義の前では子ですらも断罪するほど
コルシカ「道徳」を
絶対的に信奉しているマテオは、
旧世界の人間なのです。
本作品は、旧世界の人間と
新しい価値観を持った世代との
断絶と悲劇を描いた作品に
思えてなりません。

日本では鴎外や漱石が、
封建的思想の中での
明治知識人の孤独感を描きました。
それより半世紀以上も前に書かれた
本作品。
コルシカも周囲を海で囲まれた、
言わば「島国」。
洋の東西を越えたつながりが
見えてきます。

(2019.12.13)

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