「イリュージョン」(R.バック)②

村上訳の復刊を強く願う

「イリュージョン」
(R.バック/村上龍訳)集英社文庫

群衆が
ドン・リチャード・ディックの
三人を取り囲む。
人々の投げる卵や石は
決して彼らには当たらない。
恐怖に駆られ、
この町を脱出しようという
ディックの願いを、
ドンは断る。
ディックはドンに向けて
ショット・ガンを発砲し…。

昨日取り上げた佐宗鈴夫訳は、
2006年刊行の新訳版です。
実は私は本作品に
学生時代に出会っています。
それが本書・村上龍訳です。
実は両者、
単なる新訳旧訳の違いではないのです。
両者を比較すると細部にわたって
相当な違いが見られます。
一方にある段落が他方にはない。
それが随所に現れます。

その最たる部分が最終章です。
ドンが撃たれる場面が、
佐宗訳では「遊覧飛行の客の中の一人が
発砲した」のですが、
村上訳では「民衆が暴徒化し、
その一人に撃たれた」と
なっているのです。
全く別物なのです。

ネットで調べてわかりました。
村上訳は単純な翻訳ではなく、
訳者・村上の
加除修正及び脚色が広範囲に
施されているということのようです。
つまり、日本語訳としては
相当「問題作」として
考えられていたのでしょう。
村上訳の出版は1977年。
同じ出版社から
新訳が出るタイミングとして
30年はやや短すぎます。
有名な海外作品に先駆けて、
集英社がこのマイナー作品を
いち早く新訳化した理由は、
おそらくそこにあったのではないかと
推察できます。

しかし…、しかしです。
私はかれこれ30年以上前の学生時代、
古書店で
本作品のハードカバー版を見つけ、
なぜか惹かれるように
買ってしまいました。
まるで本の背表紙が
「俺を読め」と呼びかけているような、
そんな不思議な引力を感じたのです。
著者・バックのことも、
訳者・村上龍のことも
あまりよく知らない時分でした。

そしてそれどころか、
読んでさらに魅了されました。
こんな小説があったのか、
いや、こんな考え方、こんな生き方、
こんな思想があったのか。
目から鱗が落ちる思いで
一気に読んでしまった記憶があります。
雷に撃たれ、電流が脊髄を流れるのを
感じるような一冊でした。
本というものは、
こんなに素晴らしい体験を
与えてくれるものなのかと。
本書は、私の読書観を
大きく変えた一冊なのです。

前回記したように、本作品のテーマは
「自由に生きること」であると考えます。
村上もそれに沿って、
自らが原書を読んで受けた衝撃が
読み手に十分に伝わるよう、
自由な発想で
本作品を加工したのかもしれません。

残念ながら、佐宗訳を読み直しても、
かつて私を捕らえた引力を
感じることができないのです。
何かがすっぱりと
欠落してしまった印象を受けます
(佐宗訳に価値がないとはいいません。
まっとうな翻訳であると考えます)。

旧訳は「バック作・村上龍訳」ではなく、
「バックと村上龍の合作」と
考えるべきなのかも知れません。
類い希なる二人の感性が共鳴し合って
この作品が完成したのだと
考えるべきでしょう。
翻訳としては相当な問題があるものの、
作品としては
希有の存在感を放っている本書です。
「村上龍訳」としてではなく
「バック・村上龍作」としての
この作品の復刊を、強く願っています。

(2020.6.1)

Free-PhotosによるPixabayからの画像

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