「ぼくの守る星」(神田茜)

周囲からは見えにくい「生きづらさ」

「ぼくの守る星」(神田茜)集英社文庫

言葉を読み間違えたり
言い間違えたりする翔は、
周囲と同じことが
できないことに悩む。
その一方で、周囲はそれを
ユーモアとして受け止め、
級友・山上は
漫才コンビを結成しようと
持ちかける。
母親はそれを
「特別な才能」というが…。

中学校2年生の主人公・夏見翔は
ディスレクシア(学習障害の一種。
知的能力に異常がないにもかかわらず、
文字の読み書きに
著しい困難を生じる)なのです。
本作品は、6つの
連作短篇集となっているのですが、
各篇で語り手が異なり、
翔だけではなく、その周囲も
それぞれの悩みを抱えていることに、
上手にスポットが当てられています。

「ジャイアント僕」(語り手:夏見翔)
ここでは翔の生きづらさが
綴られています。
本人自身の失敗だけでなく、
母親からの「あなたには特別な才能が
あるのよ」という声かけ自体が、
彼を追い詰めているのです。
それは次の一篇に連続します。

「澄んだ水の池」
(語り手:夏見和代…翔の母親)
息子が発達障害であることに対して、
その母親もまた追い詰められ、
心が病んでいる様子が描かれています。
夫は海外赴任で不在であり、
当然何も相談できず、
自分の母親からもプレッシャーを受け、
医師からは明確な道しるべは示されず、
学校は(過度な)要求を
受け入れてはくれない。
何らかの障害を持つ子どもの母親もまた
生きづらさを感じている実態が
浮かび上がってきます。

「ゴール」(語り手:山上強志…翔の級友)
語り手は翔の級友へと移り、
周囲から見た
翔の姿が描かれていきます。
周りからはその生きづらさが
なかなか理解してもらえないのです。
この山上は、
翔のとんちんかんな受け答えを、
「計算して受けを狙っている」と
本気で信じているのです。

漫才コンビを結成しようと
画策するのですが、
語り手の視点を離れて考えたとき、
彼以外は翔と親密な関係を
築いてはいないのです。
周囲は翔のことを決して
理解もしていなければ
援助もしようとせず、
ただ面白がっているだけであるという
状況が見えてくるのです。

「はじまりの音」
(語り手:中島まほり…翔の級友)
翔と同じように、クラスの中で
孤立している存在のまほり。
彼女の弟もまた聴覚障害を持ち、
そのために一家が崩壊しているのです。
その状況にまほり自身は疲れ果て、
自殺を決意するところから
物語が始まります。

「山とコーヒー」(語り手:翔の父親)
ここでは翔の父親の視点から
語られます。
仕事を優先するあまり、
息子の障害を受け止められず、
家庭の中での存在感を失った父親の姿が
描かれていきます。
カイロでの単身赴任から
戻ってきたにもかかわらず、
昇進の道も閉ざされ、
妻からは全く相手にされない。
そんな中で
なんとか関係改善を図ろうと奮闘する
父親の姿はいじらしくもあります。

「ぼくの守る星」(語り手:夏見翔)
再び翔の視点に戻ります。
中3となり進路選択を控え、
本人も母親もナーバスになっている
様子が綴られます。
しかし翔は自分の生きる道、
自分の在り方を
自分で見つけていきます。

ディスレクシアという難しい問題、
そして救いの見えない状況を
取り上げながら、
それぞれのエピソードの終末には
すべて一筋の光が
見いだせるような展開となっています。
決して暗いままで終わってはいません。
作者・神田茜は、
発達障害を抱えた子どもと
その保護者の苦悩に
しっかりと寄り添っているのです。
そしてその視線は限りなく
温かいものになっています。

実際問題として、
ディスレクシアを含む発達障害の
いくつかに対しては
社会の支援が十分ではなく、
本人とその家族が孤立する
傾向が見られます。
また、義務教育段階では
配慮してもらえることであっても
高校および社会に出てからは
そうした配慮が期待できないことも
まだまだ数多くあるでしょう。
そうした実態に
正面から切り込んだ作品なのです。
発達障害について
社会の理解が広まるよう、
すべての人にお薦めしたい逸品です。

(2021.1.21)

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

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