「恐怖」(谷崎潤一郎)

それはおそらく「パニック障害」

「恐怖」(谷崎潤一郎)
(「潤一郎ラビリンスⅠ」)中公文庫

「私」が取り憑かれた病気は
神経症の一種なのだという。
汽車に乗り込むやいなや
脈拍が上昇し、
冷汗がだくだくと肌に湧き、
手足が悪寒に
襲われたようになるのだ。
だが「私」は徴兵検査のため、
東京へ戻らなければ
ならなくなり…。

以前取り上げた
「悪魔」の冒頭でも描かれている、
「汽車恐怖症」ともいえる
神経過敏な「私」の物語です。
筋書きと呼べるほどのものはなく、
ただただ汽車に対する恐怖が
綴られています。
「私の体中に瀰漫して居る
 血管の脈拍は、
 さながら強烈なアルコールの刺戟を
 受けた時の如く、
 一挙に脳天へ向って奔騰し始め、
 冷汗がだくだくと肌に湧いて、
 手足が悪寒に襲われたように
 顫えて来る。
 若し其の時に何等か
 応急の手あてを施さなければ、
 血が、体中の総ての血が、
 悉く頸から上の狭い堅い圓い部分
 ――脳髄へ充満して来て、
 無理に息を吹き込んだ
 風船玉のように、いつ何時
 蓋骨が破裂しないとも限らない。」

徴兵検査のために
本来は戸籍のある東京へ(京都から)
戻らなければならないところを、
友人の尽力で
書類を移動させることによって
大阪で受けられるように
してもらったものの、
京都―大阪間すら
恐怖でいっぱいになり、
なかなか乗ることができないのです。

アルコールの力を借りて
恐怖を抑えようと試みるのですが、
乗車するとやはり酔いが覚めて
恐怖が襲ってきます。
恐怖なのか滑稽なのか
わからないほどです。

この恐怖の正体は何かと考えたとき、
当てはまる可能性のあるのは
「パニック障害」でしょう。
この障害によって生じる発作は、
「死んでしまうのではないか」と
思うほど強く、
自分では制御できないものです。
そのため「また発作が起きたら」と、
不安が不安を呼び込みます。
とくに密閉空間では
「逃げられない」という感覚が
不安をさらに強め、
外出ができなくなってしまうことも
あるといいます。

谷崎自身がそうした
何らかの症状を持っていたのでしょう。
医学の進歩した現代ならいざ知らず、
そのような自身の精神疾患と向き合い、
それを冷静に分析し、
小説の素材にしてしまうのですから
さすが大谷崎です。
化け物や殺人鬼が闊歩する
B級ホラー小説より
ずっと恐怖感が伝わってきます。

それにしても谷崎の初期の作品は
面白いものばかりです。
最高のエンターテインメントを
純文学の入れ物に詰め込んだような
作品ばかりです。
女性の方にはやや厳しいものが
あるかも知れませんが、
怖いもの見たさに
ぜひ覗いていただきたいと思います。

(2021.2.13)

Matthias WeweringによるPixabayからの画像

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