「燃えつきた地図」(安部公房)①

緻密に計算され尽くした設計図のような構造

「燃えつきた地図」(安部公房)
 新潮文庫

興信所職員の「ぼく」は、
ある失踪者の捜索に着手する。
行方不明となったのは
依頼者の夫。
しかし依頼者である妻から
提示された手がかりは
レインコートのポケットに
あったという
マッチ箱一つだけだった。
調査は難航し、やがて…。

「変身もの」とともに
安部公房の代表的な創作パターンである
「失踪もの」の一作です。
失踪した会社員を捜索する探偵が、
男の足取りを追って調査を進めるが、
何一つ解明できないまま、
やがて探偵自身が記憶を見失って
失踪するという、
ミイラ取りがミイラになるような
筋書きです。
学生時代に一度読んだきりでしたが、
30数年ぶりに
再読することができました。
実は初読の際、
最終場面の記憶喪失者が
「ぼく」と同一人物であるかどうか
確信が持てなかった(作品中では明確に
されていない)のを覚えています。
最後の描写は失踪した根室洋その人の
体験を表現したのではないかと
思ったのです。
ところがよく読むと、
描写の至るところに手がかりが
与えられていたことに気づきました。

一つは記憶を失った「ぼく」の所持品
(「ノートの切れ端」と「バッジ」)です。
一方は田代に書かせた
「待ち合わせのための地図」であり、
もう一方は依頼者の弟の
形見の「徽章」なのです。
これらがまだポケットにある以上は、
「ぼく」が依頼者・根室波瑠の部屋に
駆け込んでからまだ
日が浅いことなのでしょう。

一つは「ぼく」の電話に応じて
駆けつけた女性です。
コーヒー店の女だったのですが、
コーヒー店はそれまで頻繁に登場した
喫茶店「つばき」であり、
女はおそらく波瑠なのでしょう。
記憶を失う前に「つばき」を来店した際の
「求女店員」の張り紙の描写、
そして波瑠の「明日から、
勤めに出ることに決まったんだし…」の
二点から推察できるしくみに
なっていたのです。

そして一つは作品冒頭での
坂道の表現を反復した、終末の描写です。
同じ坂道について、
冒頭部はもちろん
最初に波瑠との面談に向かう
「ぼく」の捉えた印象なのですが、
終末部は根室洋の体験した
顛末だと思っていたのです。
しかしそれは
自動車に乗って捉えた「坂道」と、
徒歩で感じた「坂道」の
違いであることに気づいた次第です。

こうしてみると、
「ぼく」は単なる記憶喪失では
ないのでしょう。
「ぼく」の記憶をすべて失うとともに、
調査対象である根室洋が
捉えたであろう心象風景
(おそらく調査の過程で「ぼく」が
潜在的に持ったイメージ)の断片を、
疑似記憶のように
組み込んでしまったのでしょう。
「いまぼくが帰宅の途中だという、
 この判断だって、
 既知感を合理化するための、
 口実にしか
 すぎなかったことになり…」

安部公房の作品は、
一見奇想天外な展開に見えることが
多いのですが、
実は緻密に計算され付くした
設計図のような構造であることが
よくわかります。
初読でそのすべてを味わえるだけの
読解力があればいいのですが、
そうでない私にとって
再読による「咀嚼」は必要不可欠です。
しかしそれもまた
文学を鑑賞する楽しみでもあります。

(2021.10.18)

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