「夢の逃亡」(安部公房)

ついに「夢」は陽の光を見ることはないのです

「夢の逃亡」(安部公房)
(「夢の逃亡」)新潮文庫

やむを得ぬことであったろう。
彼の衣裳である名前は、
この街との約束も、契約も、
まだとりかわしてはいない。
愛の行為でなんとか
結びあわされた
獣と名前の関係が、
作法にかなった服装として
工場の塀に通用しうるだろうか。
…。

すでに絶版となっている
安部公房の初期短篇集「夢の逃亡」。
ここまで6篇取り上げてきましたが、
本作品がもっとも難解です。
ハチャメチャな筋書きが
いったい何を意味しているのか、
まったくわかりません。
物語は大きく
三つの場面に分かれると考えます。

一つめの場面には、
不幸にして名前を「サンチャ」と
役場に届けられたこと、
「サンチャ」は隣の子ども・三太の
愛称であり、そのために幸福は三太へ、
不幸はすべてサンチャへめぐったこと、
彼の身体から徐々に「獣」が抜け出し、
彼は「名前」だけになったことが
書かれてあります。

二つめの場面として、
町に異常な旱魃が訪れ、
すべてのものが炎に包まれること、
その中でサンチャは
少女・チヨを抱きかかえ、
都会で結婚したこと、
サンチャは仕事を求め、
タクシーの運転手となることなどが
記されています。

重要なキーワードはやはり
「名前」なのでしょう。
安部はこれまでも
「名前」がテーマに関わる作品
(その多くは名前の喪失)を
書き上げてきました。
安部は「名前」に対し、
「社会での位置づけを明確にするもの」
「社会と繋がるためのもの」という
位置づけを与えているように
思われます。だとすると
それと対になっている「獣」とは、
「その人間の本質」
「その人間の夢・希望」と解釈することが
可能です。

そう考えたとき、
「本質に関わらないところで
社会は人間を峻別していること」、
そしてそうでありながらも
「本質から切り離された「名前」は
実に軽いものであること」を述べ、
人間にとって大切なのは
「本質」であるという、
しごくまっとうな論を
展開しているようにも思えます。

しかしながら本作品の結末には
救いはありません。
最後の三つめの場面には、
サンチャの「獣」と「名前」が
分離してしまうこと、そして
「獣」と「名前」を結びつけている
「鎖」を断ち切り、「獣」が逃げ出すこと、
それによって彼の肉体が
消滅することが描かれています。
そして自由になったはずの
「獣」=「本質」=「夢」は、
永遠に夜の中を走り続けるだけであり、
ついに「夢」は
陽の光を見ることはないのです。
「まだまだ無限の、
 そして様々な夜の中を、
 彼は走りつづけなければ
 ならないらしかった」

「夢」の逃亡に、
未来も希望も存在しないかのようです。

早いもので来年は
安部公房没後30年を迎えます。
安部のこうした初期作品をはじめとする
絶版状態にある作品の復刊を願います。
特に新潮文庫には、
本書「夢の逃亡」のほかにも
「石の眼」
「幽霊はここにいる・どれい狩り」
「カーブの向う・ユープケッチャ」
「緑色のストッキング・未必の故意」
「死に急ぐ鯨たち」といった
絶版本があります。
これらが安部公房写真を使用した
近藤一弥装幀で復刊されることを
強く希望します。

「夢の逃亡」収録作品一覧
「牧草」
「異端者の告発」
「名もなき夜のために」
「虚構」
「薄明の彷徨」
「夢の逃亡」
「唖むすめ」

(2022.1.11)

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