「胡桃割り」(永井龍男)①

少年の成長物語の一つの形

「胡桃割り」(永井龍男)
(「教科書名短篇 少年時代」)中公文庫

「胡桃割り」(永井龍男)
(「朝霧・青電車・他」)講談社文芸文庫

病弱な母を亡くし、
父と二人で暮らす小学生の「僕」。
父の再婚相手の桂さんに対して
悪い印象は持っていない。
望ましい選択だと感じてもいる。
しかし、桂さんが
新しい母親となることを
素直に受け入れられないでいる
自分がいる…。

高校生の頃、教科書で読んで、
なぜか心にささくれのように
残っているにもかかわらず、
タイトルさえ忘れ、
作家名さえ忘れていた作品に、
十年くらい前、
ようやく巡り会うことができました
(当時、約三十年ぶりの再読)。
さらに五年ほど前、
アンソロジーで入手、
以来何度読み返したかわかりません。
永井龍男の「胡桃割り」です。

思春期の少年であれば、
父親であれ母親であれ、
その再婚には不思議なもやもや感を
抱いてしまうのでしょう。
片親を亡くせばこそ、親と子の関係は
どうしても必要以上に強まります。
「僕」には姉がいて、
その姉が母親代わりを
つとめていたのですが、
その姉も嫁いでしまいます。
そこに第三者が現れれば、
うろたえるのは子どもである
「僕」だけなのです。

表題となり、
本作品の最も重要な焦点ともなっている
「胡桃割り」という道具。
この道具の果たしている役割は何か。
胡桃割りはかなり力学的
かつ原始的な道具です。
電化製品のようにスイッチを
入れさえすれば誰でもきちんと
扱えるという代物ではありません。
つまり、
「経験値による要領」を得なければ
まったく使えない道具なのです。

悶々と過ごしていた「僕」はある日、
胡桃を割ってみると、
快い音とともに割ることができます。
そのとき、「僕」の心の中の
わだかまりが消え去ります。
「お父さん、僕、桂さんに
 家に来て貰いたいんだけど…」

きれいに胡桃を割ることができた。
これはすなわち
「僕」の成長を表しています。
事実、母の亡くなる直前には、
「僕」は胡桃割りをうまく使いかねて
癇癪を起こしているのですから。

それまでできなかったことが
できるようになる。
それが成長なのです。
この作品は短編ではありますが、
れっきとした少年の成長物語です。
古今東西、少年の成長物語は
数多くありますが、その多くは
「少年の一夏の冒険」小説です。
本作品はわずか15頁でありながら、
「トム・ソーヤーの冒険」(トウェイン)、
「夏の庭」(湯本香樹実)などに
比肩しうる「少年成長物語」として
昇華しているのです。

「カチンと、快い音がして、
 胡桃は二つに綺麗に割れた。
 思いがけない、
 胸のすくむような感触であった」

胸のすくむような短編小説、
いかがでしょうか。

(2022.2.8)

marcelkesslerによるPixabayからの画像

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