「団栗」「まじょりか皿」「浅草紙」(寺田寅彦)

科学・文学・芸術の三つの視点から

「団栗」「まじょりか皿」「浅草紙」
(寺田寅彦)
(「百年文庫028 岸」)ポプラ社

身重の妻の病が
治まりつつあるのを見計らって、
「余」は妻を連れて
植物園を訪れる。
妻は「おや、団栗が」と声を出し、
ハンケチいっぱいの
団栗を拾い始める。
今年の二月、
忘れ形見のみつ坊を連れて
「余」が再び植物園を訪れると…。
「団栗」

「風采は余り上らぬ方で、
友達というものは殆どない」
文士の竹村君。
原稿料が入って懐が温かくなり、
暮れを楽に
迎えられそうになった彼は、
かねてより欲しかった
「まじょりか皿」を買う。
愉快であるものの、
腹の底に不安な念が…。
「まじょりか皿」

古紙を漉き返してつくる浅草紙。
それゆえ浅草紙には
様々な紙の模様が寄り集まる。
色紙の片、帯紙、煙草の包紙、
マッチのペーパー、広告等々。
その種々の物品の集合の過程。
「私」はそこから人間の精神界の
製作品に思いを馳せ…。
「浅草紙」

明治の物理学者であり文筆家でもある
寺田寅彦の作品三篇です。
物理学者としては
東京理科大教授として研究にいそしみ、
文筆家としては
夏目漱石に師事し
数多くの作品を残しています。
さらには芸術の素養にも溢れていて、
油絵・日本画・水彩画等、数百点を
制作したといわれています。

「団栗」は、文士・寺田寅彦の
味わいのある一品です。
団栗拾いに興じる妻の姿を描いた直後、
「団栗を拾って喜んだ妻も今はない」。
そして亡き妻が残した幼子が、
生前の妻と同じように
団栗拾いに嬉々とする様子を記して
文を閉じる。
淡々とした表現の底に、
そこはかとない
悲しみが湛えられています。

「まじょりか皿」は、芸術家寺田寅彦が
顔をのぞかせています。
まじょりか皿とは
イタリア製の陶器の絵皿です。
竹村君は思い切って
まじょりか皿を買ったものの、
郷里に残した年老いた母親のことが
気がかりになってしまうのです。
結びの部分の絵画的な表現が秀逸です。
「まじょりかの帆船が現われて
 蒼い海を果もなく帆かけて行く。
 海にも空にも船にも
 歳は暮れかかっている。
 逝く年のあらゆる想いを乗せて
 音もなく波を辷って行く。
 船には竹村君も
 小さくなって乗っている。
 淋しそうな老母の顔も見える。」

「浅草紙」は、寺田寅彦の
科学者の視点が光ります。
「あらゆる方面から来る材料が
 一つの釜で混ぜられ、こなされて、
 それからまた新しい一つのものが
 生れるという過程は、
 人間の精神界の製作品にも
 それに類似した過程のある事を
 聯想させない訳にはゆかなかった。」

科学・文学・芸術の三つの視点から
世の中を見つめた寺田寅彦の
味わい深い傑作群は、
青空文庫でも出会えます。
現在292篇が登録中
(2022年3月現在)。
さて、次は何を読もうか。

※この三篇は随筆なのか
 私小説なのかが
 私には今ひとつ判断できません。
 一読すると
 随筆だと思われるのですが、
 「団栗」などは
 私小説のような雰囲気があります。
 執筆時の寺田の行動等を調べ上げ、
 「団栗」には創作が
 織り込まれていると考える研究者も
 あるようです。

(2022.3.15)

CouleurによるPixabayからの画像
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