「日本文学100年の名作第6巻 ベトナム姐ちゃん」

高度文学成長、色彩を取り戻した日本文学

「日本文学100年の名作第6巻
    ベトナム姐ちゃん」新潮文庫

「ベトナム姐ちゃん」(野坂昭如)
横須賀のドブ板通りのバーの
ホステス・弥栄子は、
いつもベトナム帰りの
アメリカ兵に対して、
無料で性的なサービスを施す。
今日も彼女は
二十一歳になった若い米兵
「ジュニア」を
あたたかく迎え入れる。
彼女が奉仕する理由とは…。

日本文学100年の名作第6巻を
読み終えました。ここには
敗戦から立ち直った日本よろしく、
戦時中の暗い時代から抜け出した、
日本文学の輝かしい復活編ともいうべき
12篇が収められています。

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とはいえ、作品にはやはりまだ戦争、
そしてその傷跡が生々しく
描かれているものがいくつかあります。
表題となっている
野坂昭如の「ベトナム姐ちゃん」も
その一つですが、
痛みを脱して力強く立ち上がろうとする
姿勢が見られる作品でもあります。
その一方で、戦争そのものの
むごたらしさを静かに告発した
「蟻の自由」(古山高麗雄)、
戦争後の変化に対応できなかった
少年の悲哀を描いた
「球の行方」(安岡章太郎)が、
この時期特有の作品として
存在感を示しています。

「蟻の自由」(古山高麗雄)
少年のころ僕は、
家の庭を這っていた
蟻を一匹つかまえて、
目薬の瓶に入れて、
学校に持って行って
放したことがあるのです。
そして僕は、蟻にとっては
気が遠くなるほどの長い旅を
空想しました。
今の僕は、
あの蟻に似ている…。

「球の行方」(安岡章太郎)
朝鮮から引っ越しして
東北の弘前で暮らし始めた、
子どもの頃の「私」。
学校での成績は
不思議と優秀であった。
その褒美に叔母から
新品のグローブとバットが
送られてくる。
「私」はそれを持って、
友達とともに
野球をしにいくが…。

同様に、
戦争の傷跡が見え隠れする作品として
「くだんのはは」(小松左京)、
「幻の百花双瞳」(陳舜臣)が
あげられます。
「くだんのはは」はホラーSF、
「幻の百花双瞳」は料理ミステリと、
エンターテインメントの衣を
まとっていますが、文学的な奥の深さを
同時に持つ両作品です。

「くだんのはは」(小松左京)
空襲で焼け出された「僕」は、
かつての家政婦・
お咲さんの奉公先へ
一時預けられることになる。
その家は、
戦時下であるにもかかわらず、
裕福にも米の飯を
食べることができていた。
そして夜になると病人の
怪しげな泣き声が聞こえ…。

「幻の百花双瞳」(陳舜臣)
広東生まれの
中華料理人・丁祥道は、
神戸の楊朝堅に弟子入りする。
楊は店主・笵欽誠が
かつて食したという幻の点心
「百花双瞳」の再現と、
それを上回る中華料理の創作に、
密かに情熱を燃やしていた。
しかし戦争のあおりで
店が傾き…。

時代物も
素敵な二篇が収録されています。
史実に即して編まれた
「倉敷の若旦那」(司馬遼太郎)は、
短篇ながら重厚な味わいを持つ作品に
仕上がっています。
「お千代」(池波正太郎)は
軽妙洒脱な人情もの(そして猫作品)と
なっています。

「倉敷の若旦那」(司馬遼太郎)
不正を働いていた
商人・下津井屋に天誅を加えた
立石孫一郎は、
長州藩へと身を寄せ、
第二騎兵隊幹部の役割を
与えられていた。
幕府に対する藩の対応が
曖昧なことに
しびれを切らせた孫一郎は、
倉敷代官所の襲撃を決意し
挙兵する…。

「お千代」(池波正太郎)
大工・松五郎は、
女よりも飼猫・お千代を
愛する男だった。
ところが棟梁の強い要求により、
ついにおかねという女房を持つ。
ある日、松五郎の仕事場に
お千代が興奮して現れる。
家で何事かが起きたのではと
松五郎が駆けつけると…。

この時代に最もふさわしいのは、
「公害」を穏やかに弾劾している
「鳥たちの河口」でしょうか。
主人公の喪失と再生が、
日本の姿に重なります。

「鳥たちの河口」(野呂邦暢)
男はうつむいて歩いた。
空は暗い。
河口の湿地帯はまだ夜である。
枯葦にたまった露が
男の下半身を濡らす。
地面はゆるやかな
上り勾配をおびて
地下水門のある小丘へつづく。
男は目的地をわきまえた者の
確信をもった足どりで…。

異彩を放っているのは
マルチ・ライター和田誠の作品です。
小学生の日記風の文体の
「おさる日記」は、最後のどんでん返しに
唖然とさせられます。

「おさる日記」(和田誠)
×月×日
おとうさんがかえってきた。
おとうさんはおみやげを
ぼくにくれた。
おさるをくれた。
まだちいさいおさるです。
×月×日
おさるに
名前をつけることにした。
もんきちという名前にしました。
×月×日
もんきちはすっかり…。

ここまで戦争物、時代物、SF、
ミステリ仕立てと続いてきましたが、
純粋に文学的な作品を挙げるとすれば、
木山捷平の「軽石」でしょうか。
何も事件の起きない、
一見地味な作品なのですが、
素朴で温かみのある文章と
しみじみとした味わい深さは、
本作品集の中でも
際立った存在となっています。
木山捷平、さすがは明治生まれです。

「軽石」(木山捷平)
焚火に凝っていた正介は、
燃えかすの中から
拾い集めた鉄釘を、
ある日、屑屋に売り払う。
しかしそれは
三円にしかならなかった。
正介はその三円で
「何か」を買おうと思い立つ。
ところが三円で買えるものなど
なかなか見つからず…。

さて、
最後に紹介することになりましたが、
本書では冒頭の2作品として
収録されているのが、
日本の誇るノーベル文学賞作家二人、
川端康成の「片腕」と
大江健三郎の「空の怪物アグイー」です。
どちらもSF的な筋書きの中に、
文学的で難解なメッセージが
込められています。
一読しただけではその奥にあるものを
掴むことは困難です。
作者の「メッセージ」に接近できるよう、
何度も読み味わうことを要求される
作品といえるでしょう。

「片腕」(川端康成)
「片腕を一晩
お貸ししてもいいわ」。
娘の言葉に従い、
「私」は娘の「右手」を借り受ける。
周囲に気付かれぬように
自室へと運び込んだ「私」に、
「右手」は語りかける。
「このなかで
今晩おとまりするのね」。
「私」は「右手」と添い寝する…。

「空の怪物アグイー」(大江健三郎)
作曲家Dの付添いという
アルバイトに採用された
大学生の「ぼく」。
Dは障害を持って生まれた
息子のことで衝撃を受け、
精神を病んでいた。
他の人間の目には見えず、
空の上からときおり降りてくる
アグイーと、
Dは交歓していた…。

「片腕」と「空の怪物アグイー」、
ともに1964年の発表です。
日本文学の変遷をたどる本シリーズは、
2大ノーベル賞作家の代表作を収録し、
堂々の頂点を極めています。

日本社会が戦争の傷跡から脱して
高度経済成長を遂げたこの時期、
日本文学もまた、
高度文学成長ともいえる飛躍を遂げ、
文学界全体が
再び色彩を取り戻したことが体感できる
ラインナップとなっています。
日本文学の転換点ともいえるでしょう。
ぜひご賞味ください。

(2022.8.11)

Artturi MäntysaariによるPixabayからの画像

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