「エンジェル エンジェル エンジェル」(梨木香歩)

本作品は、おそらく「赦し」の物語

「エンジェル エンジェル エンジェル」
(梨木香歩)新潮文庫

新潮文庫版表紙

「エンジェル エンジェル エンジェル」
(梨木香歩)原生林

原生林版表紙

熱帯魚飼育のために用意した
水槽のモーター音は、
寝たきりに近い祖母の意識を
覚醒させる。
明瞭な声、
いたずらっぽい力のある目。
祖母は孫のコウコを
「コウちゃん」と呼び、
自らを「さわちゃん」と呼ばせる。
二人の交流が始まるが…。

「エンジェル」が
3つも連呼される表題に、
少女漫画的な
甘い筋書きを予想するかも知れません。
少女返りした祖母・さわこと孫・コウコ
(受験を控えた高校生と考えられる)の
心の交流だろうと。
違います。
そんな生やさしいものではないのです。
全13章からなる作品の偶数章は、
さわこの視点で
彼女の女学生時代が綴られていきます。
彼女の意識に呼び覚まされた思い出は、
悔恨に満ちた
苦々しいものだったのです。

【主要登場人物】
コウコ
…高校生と考えられる女の子。
 熱帯魚を飼育しようと思い立つ。
 いい子でいようと努力している。
ママ
…コウコの母親。
 コウコを自慢の種にしている。
さわこ
…コウコの父方の祖母。
 認知症と考えられる。
かーこ
…さわこの親友。
 学校の勢力グループの一方の中心。
山本公子
…学校の勢力グループの
 もう一方の中心。親しい人からは
 コウちゃんと呼ばれている。
 ※原生林版では「孝子」となっている。
翠川
…さわこの学校の女性教師。
 さわこが尊敬している。
ツネ
…さわこの家の使用人。
 さわこは姉のように慕っている。

親しくなりたかった女の子・公子と、
友達になるどころか
邪険にしてしまったこと、
それを彼女自身から
非難さえされなかったこと、
彼女の一家が満州へ引っ越し、
謝罪する機会を
永久に失ってしまったこと、
そしてその罰であるかのように、
姉のように慕っていたツネが
実家に帰らねばならなくなったこと、
その別れ際でさえ、
ツネに対して邪険な振る舞いを
してしまったことが、
綴られていくのです。

認知症気味の年寄りの意識が、
少女として覚醒する。
初読の際は、SF的な作品なのだと
勘違いしていました。
梨木作品特有のメルヘンなのだと。
そうではありません。
彼女の心は、長い年月を経ても
それを忘却することなどできず、
「赦し」を請うきっかけを
待っていたのでしょう。

彼女のその心を呼び覚ました「鍵」は、
次の3つと考えられます。
①その当時と同じ年齢になった
 孫・コウコとの再会、
②水槽設置のために
 物置から引っ張り出してきた
 「サイドテーブル」、
③水槽に追加された
 獰猛なエンゼル・フィッシュ。

①については、
奇しくも呼び名が公子と同じ
「コーちゃん」であること、
そして性格も「いい子でいようとする
努力家」であるということ、
さらにはツネと同じように
「姉妹」として接していることが、
「鍵」となり得たのだろうと思われます。
②は、
彼女がツネから半ば強引に
譲り受けたものであり、
ツネに対する後悔の念の象徴であり、
当然「鍵」になり得るものです。
そして③については、
「エンゼル」という名を持ちながら
他の生命を食い殺してしまった
その魚の姿に、
かつてミッション・スクールの
女学生でありながら、
周囲を傷つけてしまった
自分自身を重ね合わせていたのだと
考えられます。

コウコ視点で語られる奇数章と、
さわこ視点(それも表記は旧仮名遣いで
記された)の偶数章が、
重層的なつながりを持ち、
あたかも両者が共鳴するかのように
響き合い、
読み手の心に迫ってくるのです。
大きな事件が
起きるわけではありません。
淡々としたやりとりの中で
静かに物語が進行していくのです。

今日のオススメ!

本作品は、
おそらく「赦し」の物語なのでしょう。
どうしても抑えきれない衝動によって、
かつて人を傷つけてしまった。
それを傷つけられた相手も、
そして周囲も、
誰も責めなかったかわりに、
自らがより大きく傷つき、
その傷は決して癒えることなく
人生を終えようとしていた。
己の人格はすでに壊れ、
その命の灯さえ消えようとしている
人生の終末の場面にいたって、
初めて「赦される」瞬間を得る。
さわこは、孫のコウコによって、
まさに「赦し」を得ることが
できたのだと考えます。

表題で連呼される
「エンジェル」の一つは
天使のような公子、
二つめは
エンゼル・フィッシュのような
さわこ自身、
そして三つめは
「赦し」を与えてくれた
孫のコウコということに
なるのでしょうか。

人としての生き方、
罪と贖罪、
神と赦し、
さまざまなテーマがその深奥に
隠されている重厚な作品です。
再読して気づきました。
だから読書は、面白いのです。
梨木香歩の素敵な一篇、
高校生に薦めたい一冊です。

〔原生林版と新潮文庫版のちがい〕
本作品は、
1996年に原生林から出版され、
2004に新潮文庫から再刊されました。
登場人物名の
「孝子」「公子」が異なるほか、
大きな違いがあります。
原生林版では偶数章も現代仮名遣いで
書かれているのに対し、
新潮文庫版では偶数章が
旧仮名遣い表記となっています。

次の日、お腹もすっかりよくなって、
学校へ通う途中、
門の前で親友のかーこに会った。
もう、だいじょうぶなの?

(原生林版)

次の日、お腹もすつかりよくなつて、
學校へ通ふ途中、
門の前で親友のかーこに會った。
もう、だいぢやうぶなの?

(新潮文庫版)

また、終末の描写にも加除があります。
ちがいを確かめたくて、
今回原生林版を古書で購入しました。

(2023.2.6)

PublicDomainPicturesによるPixabayからの画像

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