「ランス」(ナボコフ)

前衛性・先見性・文学性、ナボコフ、恐るべし

「ランス」(ナボコフ/大津栄一郎訳)
(「20世紀アメリカ短篇選(下)」)
 岩波文庫

「20世紀アメリカ短篇選(下)」

その惑星にはすでに
名前がつけてあるだろうが、
名前はどうでもいい。
いちばん有利な
衝の位置に来たときでも、
地球からの距離は、
マイル数に直してせいぜい
ヒマラヤ山脈の隆起の時期から
先週の金曜日までの年数程度
―つまり…。

何を言っているのか、
まったく理解不能。
筋書きもあるようでないという、
酔っ払いの戯言を記録したのか、
あるいは夢で見たことを
克明に書き連ねたのか、
そんな短篇作品です。
「20世紀アメリカ短篇選」の、
戦後作品を集めた下巻の、
冒頭の一篇がこの状態で、
非常に困惑してしまいました。
作者はあの「ロリータ」で有名な
ウラジーミル・ナボコフです。

〔主要登場人物〕
「私」

…語り手。五十歳。立場不明。
ランス
(エメリー・ランスロット・ボーグ)
…「私」の子孫。21歳の青年。
 惑星探査に出かける(らしい)。
ボーグ老人
…ランスの父親。
チン・チラ
…ランスの飼う2匹のチンチラ。
デニス
…惑星探査で死亡した物理学者。
ミセス・クーヴァー
…帰還したランスが入院(?)している
 病院の看護婦。

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本作品の読み取りが難解な部分①
時系列が複雑怪奇、今一体いつ?

本作品の読み取りを困難にしている
事項は大きく二つあります。
一つは時系列の煩雑さです。
主となっているのは、「未来」です。
惑星探索を描いているのが
中心部分と思われます。
主人公ランスによる、
太陽系外(と思われる)の惑星の探査、
そしてその帰還後、
病院で過ごす様子が描かれている
(と思われる)のです。

それを語り手「私」が
現在進行形で語っているのですが、
「私」はランスの先祖です。
ボーグ老人(ランスの父親)の
先祖である「私」が50歳という年齢で
語っているのですから、
ここでの出来事は
完全な「未来」ということになり、
つまりは「私」の
空想ということになるのです。

しかし同時に、
いくつもの「過去」も登場するのです。
そちらの主体はボーグ老人。
十二世紀の詩「荷車物語」を思いだし、
その中での騎士たちの武勲を
回想するのです。
なぜここにその記述が?と
呟きたくなるような展開が
途中途中に挟まれているのです。
そうこうしているうち、
「私」までもが
「七つか八つの子供だったころ…」と
回想を始めてしまいます。

また、「現在」のものとして
「登山」の記述も
わずかながら登場します。
本作品は「未来」「現在」「過去」を
縦横無尽に駆け巡っているのです。
読み手の思考が
追いつくはずがありません。

本作品の読み取りが難解な部分②
具体を与えられない出来事の数々

惑星探査を描いていながら、
SFではありません。
宇宙船打ち上げのようすも
惑星探査のようすも
地球帰還のようすも
まったく描かれていないからです。
なんとなく行って
なんとなく戻ってきました、という
雰囲気なのです。
それどころか探査対象の惑星にも
名前は与えられず、
ミッションも不明、
宇宙船も描かれず、
同乗者も「パイロット」「博物学者」の
ような形でしか示されず、
具体的な描写は
全くないに等しいのです。
これが理解を難しくしている
原因の二つめなのです。

その一方で、どうでもいい人物には
名前が与えられています。
死亡した物理学者にはデニス、
看護婦にはクーヴァーなる名前が
与えられています
(なんとチンチラにまで名前が!)が、
生きて生還した同乗者や、
ランスの父親には
名前が付されていないのです。
さらには
ボーグ老人が回想した騎士には、
「パーカード」「ペリモーンズ」
「パートレープ」「パーサント」
「グラマーザム」と、
実に丁寧な記述が見られるのです。
このアンバランスな感覚が、
理解を一層難しくしています。

何度も読み返した結果、
少しずつ分かってきたことがあります。
本作品は、作者から
激しく想像力を要求される
性質のものであるということです。
作者が「伝えるべきもの」を
意図的に隠蔽していることは確かです。
そしてその「伝えるべきもの」を
伝えるためには、
物事に具体は必要なく、
作品に記された限定的な事実のみが
重要だということなのでしょう。
読み手は、与えられた材料を吟味し、
十分に咀嚼し、
自らの脳内でそれらを再構築して
作者の「伝えるべきもの」を
受け取る以外に
作品理解の方法はないのでしょう。

それにしても本作品の発表は1952年。
今から70年も前のことです。
恐るべき前衛性、
恐るべき先見性、
恐るべき文学性と言わざるを得ません。
ナボコフ、恐るべし。

(2023.3.16)

TrandoshanによるPixabayからの画像

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