「一人称単数」(村上春樹)

「人間の在り方」について疑念を抱かせるような

「一人称単数」(村上春樹)文春文庫

「一人称単数」文春文庫

ここで語ろうとしているのは、
一人の女性のことだ。
とはいえ、
彼女についての知識を、
僕はまったくと言っていいくらい
持ち合わせていない。
名前だって顔だって
思い出せない。
また向こうだっておそらく、
僕の名前も顔も覚えて…。
「石のまくらに」

村上春樹の短編集「一人称単数」を
読み終えました。
その表題の通り、
一人称単数「僕」「ぼく」「私」が
主人公となっている作品集です。
村上の長篇作品を読んだときのような、
心を激しく揺さぶられる
衝撃はないものの、一篇一篇が、
「人間の在り方」について疑念を
抱かせるような筋書きとなっています。

〔「一人称単数」収録作品〕
①石のまくらに
②クリーム
③チャーリー・パーカー・
  プレイズ・ボサノヴァ
④ウィズ・ザ・ビートルズ
⑤「ヤクルト・スワローズ詩集」
⑥謝肉祭(Carnival)
⑦品川猿の告白
⑧一人称単数

ぼくは彼女に
かつがれたのかもしれない、
そこではっとそう思った。
どこからともなくそういう考えが
頭に浮かんだ。―いや、
直観したというべきだろうか。
彼女は何かしらの理由で
―どんな理由だかは
思いつけないが
―虚偽の情報を…。
「クリーム」

②③⑦⑧などは
非現実的要素が盛り込まれているため、
創作であることは
容易に判断できるのですが、
残る①④⑤⑥などは
そうした要素が見つからず、
エッセイなのか私小説なのか、
あるいは私小説ですらない
「小説」なのか、
判別が付かない形になっています
(⑤などは作中で「僕」の名前が
「村上春樹」であることが記されている)。
すべての作品のいたるところに、
作家自身の伝記的事実と酷似した
ディテールが登場するため、
読み手は現実と非現実の境界を
さ迷わざるを得ないのです。

…によって、
ボサノヴァがアメリカで
ブレークしたのは1962年だ。
しかしもしバードが
1960年代まで生き延びて、
ボサノヴァ音楽に興味を持ち、
もしそれを演奏していたら
…という想定のもとに
僕はこの架空の
レコード批評を書いた…。
「チャーリー・パーカー・
  プレイズ・ボサノヴァ」

一人称単数で書かれている以外に、
八篇すべてに共通しているのは、
「人間の存在に対する疑念」なのです。
といっても、カフカや安部公房のような
不条理な世界が
展開するわけではありません。
①であれば、名前すら忘れてしまった、
かつて一夜をともにした女性の存在が、
②では、十八歳のときに経験した、
「いっとき自分を
見失ってしまうくらい」の事件が、
③では、自分が批評文を書いた
架空のレコードと出会ってしまった
幻想的な思い出が、
淡々と綴られているだけです。

素敵な匂いがした(とにかく
僕にはそう思えたのだ。
すれ違ったときにすごく
素敵な匂いがしたみたいに)。
僕はそのとき彼女に
強く心を惹かれた。
―LP「ウィズ・ザ・ビートルズ」を
胸にしっかりと抱えた、
その名も知らない
美しい少女に…。
「ウィズ・ザ・ビートルズ」

④では、中年期に差し掛かった「僕」が、
「名も知らない美しい少女」と、
自殺した「かつてのガールフレンド」を
回想し、
その存在の意味を確かめていきます。
⑤は、ほとんどエッセイとしか
いいようがありません。
しかしその終末に、
「世界中の人々に向かって、
片っ端から謝りたくなってしまう」
という、小説家ならではの
自己を見つめる視線が記されています。

呪いだか、
そんな何かしらに導かれて。
もしひょっとして
歴史年表みたいなものを
今お持ちなら、
その隅っこに小さな字でこう
書き加えておいていただきたい。
「一九六八年、この年に
村上春樹がサンケイ・アトムズの
ファンになった」…。
「ヤクルト・スワローズ詩集」

⑥では、「醜い容貌」でありながらも、
何か引きつける魅力を持った女性
「F*」との交際が描かれるのですが、
彼女はなんと
大型詐欺事件で逮捕されます。
「仮面の下に隠された素顔」に
焦点を当てながら、人間の本質の
不確かさを指摘しています。

彼女は、
これまで僕が知り合った中で
もっとも醜い女性だった。
―というのはおそらく
公正な表現ではないだろう。
彼女より醜い容貌を持つ女性は、
実際には他に
たくさんいたはずだから。
しかし僕の人生と
ある程度近しい関わりを…。
「謝肉祭(Carnival)」

なお、
物語を押し進めるとともに村上は、
③でジャズ論、
④で洋楽論、
⑥でクラシック音楽論(というよりは
シューマン「謝肉祭」演奏論)を
展開しています。
そうした側面も、本作品の
味わいどころの一つとなっています。

さて、「人間の存在に対する
疑念」という点において、
もっともシュールなものは
⑦⑧でしょうか。
⑦で、
人間の女性しか愛せない猿が語るのは、
愛欲を昇華させるために
行わざるを得ない「名前盗み」。
被害女性は免許証などの
ID代わりとなるものを
盗まれるとともに、
「自分」としての感覚の一部を
喪失します。
こちらはどことなく
安部公房の香りが漂っているのですが、
⑧は、
自分の記憶の中にはない女性から
「こっぴどく罵られるだけ」なのです。
それでいて、
作品全体から湧き上がっている
「人間の存在の不確かさ」に
唖然とさせられます。

猿がガラス戸をがらがらと
横に開けて
風呂場に入ってきたのは、
僕が三度目に
湯につかっているときだった。
その猿は低い声で「失礼します」と
言って入ってきた。
それが猿であることに
気づくまでに
しばらく時間がかかった。
猿が…。
「品川猿の告白」

…まで積もっており、
そこを歩いて行く男女は
誰一人顔を持たず、
喉の奥からそのまま
硫黄のような
黄色い息を吐いていた。
空気は凍りつくように
冷え込んでおり、
私はスーツの上着の襟を立てた。
「恥を知りなさい」と
その女は言った。
「一人称単数」

巻末の初出記録を見ると、
①~③が2018年、④~⑥が19年、
⑦⑧が20年となっています。
⑧が書き下ろしである以外、
すべて「文學界」に
掲載されたものである以上、
単なる作品集ではなく、連作短編集と
捉えた方がいいのでしょう。
一つ一つの作品の
筋書きの関連はうすくても、
一つの主題でしっかりつながっている
八篇であると感じます。
何を言いたいのかよく判らない
寓話的な筋書きもあり、再読の上、
咀嚼して味わう必要のある作品群です。
秋の読書にいかがでしょうか。

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