「手」(安部公房)

時代に対する安部の冷めた視線

「手」(安部公房)
(「水中都市・デンドロカカリヤ」)
 新潮文庫

「水中都市・デンドロカカリヤ」新潮文庫

他の道はなかった。
おれは「手」に向って
真っすぐ走り、
いくらかの肉と血を
けずり取って、
そのまま通り抜け、
街路樹の幹につきささって
つぶれた。
おれの背後で、「手」がうめき、
倒れる音がした。
そしておれは
最後の変形を完了した。

安部公房の得意の変身ものです。
安部作品において変身変形するものの
ほぼすべてが「人」なのですが、
こちらは「鳩」が変身します。
「伝書鳩」→「手品の鳩」
→「鳩の剥製」・「鳩の像」
→「ピストルの弾」と変身するのですが、
そこに込められた、
安部の時代に対する冷めた視線こそが
味わいどころでしょう。

〔登場人物〕
「おれ」

…語り手。かつては生きた鳩だったが、
 「鳩の像」となり、
 「ピストルの弾」となった。
「手」
…かつての「おれ」の飼い主。
 反平和主義的思想を持つ。

本作品における第1の変身
「伝書鳩」→「手品の鳩」

「おれ」はもともと軍用「伝書鳩」であり、
「手」はその飼い主―軍の鳩班
(戦時中、確かに存在した)の
兵士―でした。
つまり、鳩は戦争の道具だったのです。
戦争が終わり、軍は解体され、
鳩は放置されていたのですが、
「手」がそれを連れ去り、
見世物小屋の「手品の鳩」として
貸し出されたのです。

ここは「おれ」の境遇が変化しただけで、
変身とはいえません。
しかしその役割は、
軍用から商用へと変化したのであり、
戦後の自由経済の復興を表しています。
その意味では
大きな「変身」といえるでしょう。

本作品における第2の変身
「手品の鳩」→「鳩の剥製」・「鳩の像」

おそらく「手」は
困窮していたのでしょう、
わずかな金づるであった「おれ」を、
モデルとして売り渡すのですが、
よりモデルらしく
「鳩の剥製」にされた上で、
「鳩の像」として完成されます。

この点についても、生身の鳩と、
それをモデルにしてつくられた
「鳩の像」とは別物ですから、
変身とはいえません。
しかし作者・安部は、
ここを大きな変身として
読み手に提示しているのです。
「命がなくなったというような、
 当り前のことは別にしても、
 おれは一箇の完全な物体になり、
 そればかりでなく、
 おれは一個の観念そのものになった」
「感覚の積分値であるに過ぎなかった
 おれから、おれは
 意味の積分値に変形したのだ」

その観念とは、
もちろん「平和の象徴」でしょう。
戦争から平和への
転換が図られたという、
おめでたい作品に感じられるのですが、
安部はそんな単純な筋書きには
していません。
第3の変身へと続きます。

本作品における第3の変身
「鳩の像」→「ピストルの弾」

本作品前半部は、
その銅像となった「おれ」を盗み出す
「手」の描写とそれまでの経緯について、
そして後半部は、
盗み出された「おれ」が融かされて
「ピストルの弾」へと鋳造し直され、
使われるまでが描かれます。

「平和の象徴」から再び
戦争(殺傷)の道具となった「おれ」。
そしてその用途は「手」の暗殺。
何とも皮肉な結果のように見えますが、
安部はそこに必然性を持たせています。
「手」は反平和主義者であり、
政府関係者からそそのかされ、
利用され、捨てられたことが
示されています。
「この男たちは
 政府のまわし者だったのだ。
 彼らはおれが目ざわりだった」

本作品の発表は昭和26年。
終戦から6年目です。
そんなに都合よく
平和が訪れるはずはなく、
訪れるのは見かけだけの平和に過ぎず、
平和を快く思っていない者が存在し、
陰でキナ臭い事態を進行させていくと
予見したかのような作品です。
恐らくはいろいろな暗喩が
含まれているのでしょう。
「鳩」や「手」もまた何かの暗喩であり、
安部特有の深い意味が
織り込まれているに違いありません。
その深い部分まではわからないものの、
本作品の意味するところの
アウトラインはつかめます。
戦後の日本の有り様はどうだったのか、
そして現代はその延長線上に
あるのかないのか、いろいろなことを
考えさせられる一篇です。
世界各地で再びキナ臭い臭いの
立ちこめはじめた今こそ、
味わうべき作品です。

〔「水中都市・デンドロカカリヤ」〕
デンドロカカリヤ

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詩人の生涯
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