「柳湯の事件」(谷崎潤一郎)

ホラーなのか、単なる法螺話なのか

「柳湯の事件」(谷崎潤一郎)
(「潤一郎ラビリンスⅧ」)中公文庫

「潤一郎ラビリンスⅧ」中公文庫

「僕は今夜、
人殺しの大罪を犯して居るかも
知れません。
自分では全く分らないのです。
人殺しがあったのはほんとうで、
下手人は
僕でないのかも知れません。
それとも或は初めから、
人殺しなんぞ
全然なかったかのかも
知れません。…。

谷崎潤一郎の「犯罪小説集」という
副題のついた作品集の一篇ですが、
そのままミステリ、
当時の言葉で言えば
探偵小説といっていい筋書きです。
粗筋代わりに、
主人公である「青年」の述懐の一部を
抜き書きしましたが、
青年は果たして殺人者なのか、
あるいはそうでないのか?

〔登場人物〕
S博士

…周囲からの信頼の厚い弁護士。老人。
「青年」
…S博士の事務所に、相談に訪れた青年。
 自分が殺人者であるのかどうか、
 博士に判断を仰ぐ。
 自らの体験を述懐する。
「私」
…語り手。小説家。S博士と同席し、
 「青年」の話を聴く。
瑠璃子
…「青年」と同棲している女性。

本作品の味わいどころ①
夢か幻か、恐怖の銭湯「柳湯」

本作品の多くは「青年」の述懐です。
要約すると以下のようになります。
どこぞをぶらぶらと
放浪していたところで見つけた「柳湯」。
深夜であるにもかかわらず、
その湯は大勢の客で混雑し、
大量の湯気で周囲の客の様子も
朧気にしか見えない。
湯も相当汚れていてぬるぬるする。
その湯船の底に、女の死体があり、
それは自分の妻・瑠璃子である。
他の客にはまったく見えず、
自分だけに見える。
もはやホラーです。

偶然立ち寄った銭湯に
妻の死体が横たわっていた。
そんな馬鹿な話、
あるはずがないのですが、「青年」が
そう感じたのには理由があります。
彼は妻と大喧嘩し、
半死半生の目に遭わせて、
その憂さ晴らしに
外を放浪していたからです。

驚いた彼が家に帰ってみると…、
妻はしっかり生きていたのですから、
「青年」の精神が崩壊した結果の
幻だったのか、
妻の怨念が生き霊となって表れたのか、
あるいはそこに巧妙なトリックが
潜んでいるのか。
読み手は悩まされます。
ホラーなのか、単なる法螺話なのか。
「青年」の述懐こそ、
本作品の第一の味わいどころです。

本作品の味わいどころ②
はたして「青年」は殺人者か?

しかし青年はその後、
続けて柳湯を訪れ、その四度目の晩、
湯底の死体を
手で引き上げて確かめたのです。
それはやはり妻・瑠璃子の死体。
彼は大急ぎで外に出たのですが、
周囲からの「人殺し」の
罵声を浴びるにいたって、
S博士のもとへ逃げ込んできたのです。

生きていたはずの妻。
それが毎晩連続して
湯船の底に死体として現れ、四度目は
間違いなく妻であることを確認。
その屍体は本物なのか、幽霊なのか?
幽霊だとしたら、
なぜ他の客が騒ぎ始めたのか?
「青年」はいつ妻を殺害したのか?
死体が本物だとしたら、
なぜそこにあったのか?
これがトリックなら、
ホームズでも明智小五郎でも
金田一でもその謎は解けないでしょう。
その謎解きこそ、本作品の
第二の味わいどころとなるのです。

本作品の味わいどころ③
意外!斜め上をいくミステリ

で、その謎解きは
最後の二頁で行われます。
衝撃的です。
幽霊ではなかったものの、
殺人はあったのです。したがって
ホラーではなくミステリです。
では「青年」はいったい誰を殺したのか?
その背景には何があるのか?
こればかりは
ぜひ読んで確かめてください。
あまたあるミステリの、
斜め上をいく驚きの真相であり、
これこそが本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。

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実は味わいどころはまだまだあります。
一つは「青年」の足の裏の異常触覚。
湯船の底の死体を足で弄っている描写は
谷崎にしか書けないものです。
もう一つは「青年」の
「ぬらぬらしたものが好き」という
異常性癖。
ぬらぬらフェチとでもいえば
いいのでしょうか。
語り手「私」が
谷崎の分身なのでしょうが、
この「青年」にも、かなりの部分で
谷崎自身の趣味が反映されています。

味わいどころ満載の本作品、
谷崎は純文学だけでなく、
ミステリの分野においても
超一級の創作技能を持っていたのです。
谷崎文学を味わい尽くしましょう。

(2024.2.1)

〔「潤一郎ラビリンスⅧ」〕
前科者
柳湯の事件
呪はれた戯曲
途上

或る調書の一節―対話
或る罪の動機

〔関連記事:谷崎潤一郎作品〕

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