「巫女の死」(デュレンマット)

霊体たちの真実と嘘に満ちた「供述」

「巫女の死」
(デュレンマット/増本浩子訳)
(「失脚/巫女の死」)
 光文社古典新訳文庫

「失脚/巫女の死」光文社古典新訳文庫

老いによる死を自覚し、
その時を迎えようとしていた
巫女・パニュキス。
彼女の目の前に、
次々と霊体が姿を現し、
父を殺し母を妻とした
オイディプスについての
真実を語る。
彼女はかつてオイディプスの
運命を変えるような信託を…。

その作品「トンネル」に衝撃を受け、
「失脚」に背筋の凍る思いをし、
「故障」でひっくり返ってしまった
私ですが、本書の最後の作品
「巫女の死」を読了しました。
三作とは異なり、難解な作品です。
舞台が古代ギリシャであることによる
煩雑な人名、
オイディプスの悲劇が
予備知識として必要であること、そして
死にゆく巫女・パニュキスの前に現れる
霊体たちが次々にオイディプスについて
語ることによる堂々巡りのような構成、
そうした本作品の特色が、
読み手の理解を妨げている
(知識の乏しい私の場合だけかも
しれませんが)のです。
以下は、読みながら作成した、
登場人物メモです。

〔主要登場人物〕
パニュキス(十一世)

…デルフォイ神殿の巫女。
 死が近づいた老女。
 神託はすべて思いつきで語る。
 オイディプスに告げた
 「父を殺し母と結ばれる」という
 神託も出鱈目。死に際し、
 自分の嘘がオイディプスの運命を
 狂わせたことを回想する。
メロプス(二十七世)
…司祭長。パニュキスの
 出鱈目な神託で財を成す。
グリュケラ(五世)
…後進の巫女。
テイレシアス
…テーバイの盲目(実は虚偽)の預言者。
 巫女の神託を利用し、
 預言者としての地位を固める。
 かつてメノイケウスの企みごとに
 加担し、巨額の金銭を得た。
オイディプス
…テーバイの王。
 パニュキスの神託を信じる。
 父ライオスを殺害し、
 スピンクスの謎を解き、
 母イオカステを妻とする。
 後に真実を知り、自らの目を潰す。
イオカステ
…テーバイの王妃。
 オイディプスの母であり妻。
 ライオスとの間に生まれた
 オイディプスを神託に従い捨てる。
 成人したオイディプスと再会、
 妻となるが、罪を自覚し、
 自死に至る。
 オイディプスの父がライオスではなく
 将校ムネシッポスであることを告白。
ライオス
…テーバイの王。オイディプスの父。
 オイディプスに殺害される。
メノイケウス
…イオカステの父。ライオスの舅。
 息子クレオンを王座につかせるため、
 嘘の神託を使って
 ライオスがオイディプスを
 捨てるように仕向ける。
クレオン
…メノイケウスの息子。
 イオカステの弟。ライオスに対して
 高い忠誠心を持っている。
ムネシッポス
…近衛将校。イオカステと姦通する。
ヒッポダメイア
…夫があったが、
 ライオスに誘惑される。
ペロプス
…ヒッポダメイアの夫。
 妻を寝取られた復讐として
 ライオスを去勢する。
スピンクス
…テーバイの怪物。
 女の頭とライオンの胴を持ち、
 通りかかるものに謎を出し、
 答えられないものを食した。
 オイディプスに謎を解かれ、
 落命する。
 世間では怪物と思われているが、
 その正体はライオン使いの女性。
 ライオスとヒッポダメイアとの娘。
 オイディプスが自分の子であることを
 告白。息子の愛人となる。
ポリュポンテス
…ライオンの御者。
 スピンクスを犯した。

※パニュキスの前に現れた者たち
①メノイケウス
②ライオス
③オイディプス
④イオカステ
⑤テイレシアス
⑥スピンクス(とされる女性)

この、パニュキスの前に現れた霊体
(テイレシアスはまだ生きていたので
「生き霊」、他はすでに故人)は、
次々に「真実」を語っていくのです。
しかしそれらはみな食い違うのです。
ライオスはイオカステが
あまり好きではなかったものの
打算的に結婚し、
そのため一緒に寝た記憶がない、
したがってオイディプスが
自分の息子であることに
疑念を抱いていたことを告白します。
オイディプスは自分の両親を憎み、
それゆえライオスを殺害したことを
明かします。
イオカステはオイディプスが
ライオスではなくムネシッポスとの間に
できた子であることを告げる一方、
スピンクスは自らの子と
イオカステの子とを入れ替え、
イオカステの子を殺害、
オイディプスが自らの子であることを
語るのです。

今日のオススメ!

まるで芥川龍之介「藪の中」です。
「真相」が語られるにつれ、
「真実」から遠ざかり、
いったい何が真実なのか
判然としなくなります。
それぞれが「真実」を語りつつも、
その中になにがしかの「嘘」を塗り込み、
自らの行為や立場、思想を
正当化しようとしているからです。

「真実」とは一体どこにあるのか、
読み返せば読み返すほど
分からなくなります。
いや、「真実」は決して一つではなく、
語る者の数ほどその人間なりの
「真実」があるのかもしれません。
こうした霊体たちの
真実と嘘に満ちた「供述」から、
読み手もまた自身の解釈による
オイディプス事件の「真実」の提示を、
作者から求められているかのようです。

古代ギリシャの都市国家
テーバイを舞台に、
オイディプスの悲劇に
新たな光を当てようとした
デュレンマットの、
難解でありながらも
何度となく読み返したくなる
不思議な引力を持った作品。
ぜひご賞味ください。

(2024.2.29)

〔作者デュレンマットについて〕
フリードリヒ・デュレンマット
(1921-1990)は、
スイス生まれの作家です。
グロテスクな誇張表現を用いて
現代社会の矛盾や行き詰まりを描いた
喜劇的作品によって、
その文学的地位を確立、
劇作家、推理作家、エッセイストとして
戦後に活躍しました
(ドイツ語で作品を書いているため、
本サイトでは「ドイツ語圏の文学」
カテゴリーに入れています)。
日本では長らく
その名が知られていませんでしたが、
近年出版が相次いでいます。
本書のほか、
ハヤカワ・ミステリ文庫から「約束」が、
鳥影社から戯曲集が全三巻で
刊行されるなど、注目されています。

〔「失脚/巫女の死」〕
トンネル
失脚
故障
巫女の死

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AngelによるPixabayからの画像

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