「ヘロディアス」(フローベール)

本作品の「わからなさ」を味わう

「ヘロディアス」
(フローベール/谷口亜沙子訳)
(「三つの物語」)光文社古典新訳文庫

娘は上へとあがってゆき、
わずかに舌足らずな発音で
あどけなく、
こう口にしたのだった。
「ここへ持ってきてくださいな。
お皿にのせて、首を…」
一瞬その名が出てこなかったが、
やがてにっこりとして言った。
「ヨカナーンの首を…」。

「ホヴァリー夫人」「感情教育」で有名な
フローベールの中篇作品で、
「三つの物語」と題された作品集の
第三作にあたります。
味わいどころはずばり、
作品自体の「わからなさ」です。
何度か読み返しましたが、
わからないことだらけです。

〔主要登場人物〕
ヘロデ・アンティパス

…四分封領主(先代ヘロデ大王の領土を
 他の兄弟たちと四分割した
 パレスチナの一部の領主、
 「王」と呼ぶことはできなかった)。
ヘロディアス
…アンティパスの妻。
 もとはアンティパスの兄の妻。
サロメ
…ヘロディアスの連れ子。
 妖艶な踊りの報酬として
 ヨカナーンの首を要求する。
アグリッパ
…ヘロディアスの弟。
 権力争いに敗れ、入牢する。
ルキウス・ウィテリウス
…シリア総督。アンティパスの
 援軍として駆けつける。
 アンティパスの上司にあたる。
アウルス・ウィテリウス
…ルキウスの息子。
ピネウス
…通訳。ウィテリウスの部下。
シセナ
…税務官。ウィテリウスの部下。
マエナイ
…サマリア人。ウィテリスの部下。
 首斬り役人。ヨカナーンを処刑する。
イシアム
…アンティパスの側近。バビロニア人。
ヨカナーン
…預言者。アンティパスによって
 地下牢に捕らえられている。
ファニュエル
…「エッセネ派」の学者。
 ヨカナーンの救済を求める。
ヨナタス
…「サドカイ派」の学者。
エレアザール
…「ファリサイ派」の長老。
ポンティオ・ピラト
…住民虐殺の件で告発された総督。
ヤコブ
…ティベリア駐留隊長。

本作品の味わいどころ①
煩雑な登場人物の「わからなさ」

まず、筋書きは何となくわかります。
オペラでおなじみの
「サロメ」と同じ題材です。
そちらはオスカー・ワイルドの
「サロメ」を原作としているのですが、
表題通りサロメの妖しさと
それに魅せられるアンティパスの
愛憎に焦点をあてているのですが、
こちらはそのサロメは最終場面において
唐突に登場するのみで、
筋書きに深く関わってはいないように
思われるのです。

しかも中篇作品でありながら
登場人物が異様に多く、
一読しただけでは把握しきれません。
しかも登場人物に関する説明が少なく、
それも後出しであるため、
理解が妨げられるのです。
サロメにしても、
登場場面(P.204)では、
「ひとりの若い娘」としか
記述されておらず、
「両の眼を縁取る弓なりのラインや、
玉髄のような乳白色の耳、
透き通るような肌の清らかさ」という
形容が加わっているだけです。
そして例の「七つのヴェールの踊り」に
該当する踊りが終わり、
P.206においてはじめて
「サロメ」の名が記されるのです。
万事がこの通りで、
名前が現れる前から人物は登場し、
活動しているという具合なのです。
これを整理し、
物語世界を把握することが、
本作品の第一の
味わいどころとなっているのです。

本作品の味わいどころ②
複雑な対立構造の「わからなさ」

そして、描かれているのがさまざまな
「対立」であることは分かります。
アンティパスとヘロディアスの
夫婦自体が
共同戦線を張って王位奪取を
目論んでいるにもかかわらず、
いくつかの面でいがみ合っています。
ウィテリスはアンティパスの
頼れる援軍の長でありながら、
同時に煙たい上司でもあり、
アンティパスは隠してある軍備品
(対ローマ用)を見つけられないかと
ヒヤヒヤしているのです。
しかしそれ以上は
複雑すぎてわかりません。
「エッセネ派」「サドカイ派」
「ファリサイ派」が
どのような対立構造となっているのか、
「ユダヤ人」「サマリア人」
「バビロニア人」といった民族は
どのような力関係となっているのか、
作品の上からではまったく不明であり、
いろいろな資料を参照しなければ
読み解けないのです
(欧米人なら常識的に
わかることなのかもしれませんが)。
これを丹念に調べつつ、
大まかな概要を捉えていくことが、
本作品の第二の
味わいどころとなっているのです。

本作品の味わいどころ③
難解な作品主題の「わからなさ」

さらに、
そうして描かれている「対立」から
読み手が何を汲み上げるべきなのかが
わかりません。
キリスト誕生前の舞台であり、
何らかの形で宗教的な要素が
潜んでいるものと考えられるのですが、
ほとんど理解できません。
お手上げ状態です。
これをそのままわからないものとして
受け止めながら
作品世界に可能な限り接近することが
大切であると考えます。
それこそが本作品の
最大の味わいどころといえるでしょう。

本作品の舞台となっているパレスチナは
現在も日本人には理解の難しい
多国間の対立構造が存在していて、
深刻な紛争を引き起こしています。
本作品の描かれているものとともに、
現在のパレスチナ問題に
関心を寄せる必要がありそうです。
いずれにしても「わからない」問題を
「わからない」として放置せず、
関わり続けることが大切なのだと
感じます。

(2024.5.27)

〔フローベール「三つの物語」〕
素朴なひと
聖ジュリアン伝
ヘロディアス

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