「潤一郎ラビリンスⅡ」(谷崎潤一郎)

マゾヒズム、谷崎でなければ描けない世界。

「潤一郎ラビリンスⅡ」(谷崎潤一郎)
 中公文庫

マゾヒストとは、谷崎潤一郎が
「日本におけるクリップン事件」の
冒頭に述べているように、
クラフト・エビングによって
命名された
「異性に虐待されることに
快感を覚える」
「一種の変態性欲者」の
ことである。
谷崎は「刺青」から最晩年の…。
(「解説」千葉俊二)

谷崎潤一郎の中短篇作品を、
いろいろな切り口から集めた
アンソロジー「潤一郎ラビリンス」。
第2巻のテーマは
「マゾヒズム小説集」。
谷崎文学の根幹とも言える
マゾヒズム的空想の産物を集めた
一冊です。

〔「潤一郎ラビリンスⅡ」〕
饒太郎
蘿洞先生
続蘿洞先生
赤い屋根
日本に於けるクリップン事件

「饒太郎」
即ち、彼は
自分の恋慕して居る女から
同じように恋慕され
敬愛される事を
忌み嫌うのである。
饒太郎の恋と云うものは、
男女相愛の関係から
発生するのではなく、
男は女を愛し敬い、
女は男を虐げ卑しめる時に
生ずるのであった。…。

「饒太郎」

〔「饒太郎」味わいどころ〕
①蘭子への情愛が薄れた饒太郎
②お玉に吸い尽くされた饒太郎
③最後は母のもとへ帰る饒太郎

サディスト・饒太郎のサディストぶりを、
関わる二人の女性・蘭子とお玉から
読み取ることこそ、
本作品の味わいどころです。
蘭子はサディスティックに
振る舞っているのですが、根は貞淑。
お玉は若く盗癖があり、
悪女的性格です。
彼は演技として暴力を振るった程度では
満足できないのです。
したがって彼は蘭子に満足できず、
根っからの悪女の
お玉に惹かれていくのです。
しかし悪女は悪女です。
その関係が長く続くはずはありません。
金の切れ目が縁の切れ目。
饒太郎はすべてを吸い尽くされ、
捨てられるのです。
しかしそのこと自体を悔やむ様子は
まったく見られません。
彼はそれで本望だったのでしょう。

「蘿洞先生」
A雑誌の訪問記者は、
蘿洞先生に面会するのは
今日が始めてなのである。
それで内々好奇心を抱いて、
さっきから一時間以上も
待っているのだが、
なかなか先生は姿を見せない。
取次に出た書生の口上では
「まだお眼覚めになりません…。

「蘿洞先生」

〔「蘿洞先生」味わいどころ〕
①蘿洞先生は小女と何をしていた?
②先生は小女と夜、何をしている?
③記者に覗かせ、読み手に覗かせる

本作品において谷崎は、
蘿洞先生の「いけない趣味」を
A雑誌記者に「覗かせ」、さらには
読み手にも「覗かせ」ているのです。
谷崎作品において、
変態的趣味を持った主人公の多くが、
谷崎自身の分身的存在です。
この蘿洞先生もまた、
谷崎の趣味や性格を反映した
キャラクターなのでしょう。
だとすれば、
谷崎は自身の恥ずかしい性癖を
読み手に覗き見させていると
考えることもできるのです。

「続蘿洞先生」
蘿洞先生が近頃
奥さんを貰ったと云う噂がある。
真偽は保證の限りでないが、
しかし先生のことであるから、
こっそり世間に知らせずに
結婚し、何喰わぬ顔で
澄ましていると云うようなことも
ないではなかろう。
今回も亦妙な因縁で…。

「続蘿洞先生」

〔「続蘿洞先生」味わいどころ〕
①蘿洞先生結婚の噂の真偽はいかに
②蘿洞先生は女優と何をしている?
③記者に覗かせ、読み手に覗かせる

前作の味わいどころの一つ、
「記者に覗かせ、読み手に覗かせる」は、
本作品においても変わりません。
続編でも谷崎は、
わずかな事実のみを小出しにし、
本当に書きたい部分を書かず、
それを読み手に想像させるという
手法をとっているのです。
「蘿洞先生」と「続蘿洞先生」、
当然のこととしてこの二作品は、
連続して味わうべきです。

「赤い屋根」
此の男を巧く欺して、
いいように操ってやることが
面白くもあり、それほど自分に
腕のあることが愉快でもあった。
ところが、それがそうではなく、
欺した積りで実は
此の男の註文通りに、一種の
鋳型に嵌められていたのを、
彼女は…。

「赤い屋根」

〔「赤い屋根」味わいどころ〕
①「痴人の愛」ナオミと符合する痴女繭子
②谷崎が透けて見えるマゾヒスト小田切
③女をうまく操る男と柔軟に変形する女

主人公は痴女・繭子。
その姿は同じ谷崎の名作
「痴人の愛」のナオミの姿と
重なり合います。
その繭子にいたぶられている小田切は、
明らかにマゾヒストです。
小田切の姿に、
谷崎の影が透けて見えるのは
当然といえば当然でしょうか。
そしてそこには単なるマゾヒストで
終わらない、
谷崎の人間性が表れています。
女性にかしずきながらも、
その女性を自分好みに
カスタマイズしていく。
しかもその女性に気づかれないよう、
徐々に徐々に。
この、谷崎が透けて見える
マゾヒスト小田切の、
一筋縄ではいかない人物像こそ、
本作品の味わいどころとなるのです。

「日本に於けるクリップン事件」
クラフト・エビングに依って
「マゾヒスト」と名づけられた
一種の変態性慾者は、
云う迄もなく
異性に虐待されることに
快感を覚える人々である。
従ってそう云う男は、
女に殺されることを望もうとも、
女を殺すことは
なさそうに思える…。

「日本に於けるクリップン事件」

〔「日本に於けるクリップン事件」
           味わいどころ〕

①これは「食レポ」ならぬ「殺レポ」か?
②でも細かい経緯は読み手に丸投げ!
③実は谷崎発案の次世代型ミステリ!

一読すると、マゾヒズムが
引き金となった殺人事件の、
和洋を比較したエッセイのような
印象を受けます。
いや、エッセイというよりも
報告書でしょうか。
実際に起きた事件を紹介する。
それと類似の事件を創作し、
あたかも実際に起きた事件で
あるかのように読み手に報告する。
探偵役がトリックを見破るのではなく、
読み手が自らの想像力を持って
謎解きの最後のピースをはめ込む。
この、谷崎発案の
次世代型新感覚ミステリのスタイルこそ
本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。

マゾヒズム小説集。
日本において、
こうした特殊な性的嗜好を
純文学の分野で思う存分描いたのは、
谷崎潤一郎
ただ一人なのではないでしょうか。
単なる性的エンタメでもなく、
猟奇的エロチシズムでもなく、
人間の本質に迫った文学として、
本アンソロジーは
高い文学性を持ちながら、
妖しい光を発し続けているのです。
谷崎でなければ描けない世界を、
じっくり味わってみませんか。

(2025.8.22)

〔関連記事:潤一郎ラビリンス〕

「潤一郎ラビリンスⅩ」
「潤一郎ラビリンスⅧ」
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