「傾いた地平線」(眉村卓)

ひと味違う、パラレルワールド・ストーリー

「傾いた地平線」(眉村卓)角川文庫

SF作家である「私」は、
気がついたら十数年前に
辞めたはずの会社にいた。
そこで「私」は次長として
会社員を続けていたのだった。
同僚たちは当たり前のように
「私」に接してくる。
ここはパラレルワールド?
その世界に「私」が慣れた頃…。

いわゆるパラレルワールドものです。
主人公が異世界に滑り込んでしまう
筋書きなど、SF小説だけでなく
マンガやライト・ノベルなど、
有り余るほどこの世には溢れています。
しかし眉村卓の本作品は、
それらとは明確に一線を画しています。
その「違い」こそが本作品の
味わいどころに直結しているのです。

〔主要登場人物〕
「私」(上村徳治)

…SF作家。元会社員。突然、
 パラレルワールドに放り出される。
「妻」…「私」の妻。
暁美…最初の世界の「私」の娘。
大木勝
…「私」の会社の取引相手。
 「私」の元同級生。
ケイゴ…三つめの世界の「私」の友人。

本作品の味わいどころ①
変化するのは世界か自分か

多くのパラレルワールドものでは、
自分がそのままで
異なった世界に陥るという筋書きが
多くを占めるのですが、
本作品はその周囲の世界よりも
「私」の存在が大きく異なっていくという
筋書きです。
「私」は以下のように
四つの異世界をさまよいます。
 本来の世界:SF作家である「私」
 第一の世界:本社次長である「私」
 第二の世界:工場課長である「私」
 第三の世界:貧乏作家である「私」
 第四の世界:被災者である「私」
このように「私」の立場が大きく変わり、
そして「私」の顔立ちや体型、
健康状態まで変化するのです。
本来の世界の記憶はそのままに、
異世界での記憶も
脳内に流れ込むという設定なのです。
それは異なる立場での生活への
移り変わりのハードルを
下げる役目を果たすのですが、
同時に本来の自分の在り方が
次第に揺らぎ始めるという
負の作用も及ぼすのです。
その結果、「私」にとっては、
周囲の世界の変化以上に、自身の変化に
戸惑わざるを得なくなるのです。

そして世界が移り変わるたびに、
その「世界」もまた少しずつ変遷し、
第三の世界では、
管理社会となりつつある日本へと
「私」は転げ込んでいくのです。
この、変化するのは世界か自分か、
先の読めない展開こそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ②
帰還不能の解決しない物語

多くのパラレルワールドものでは、
異世界で精神的成長を遂げた主人公が、
無事に元の世界に戻るという
結末が用意されているはずです。
本作品はその点でも異なります。
主人公は第四の世界に迷い込んだまま、
物語は幕を閉じるのです。
元の世界に戻れるのか、
そのまま第四の世界にとどまるのか、
あるいはさらなる異世界へと
追いやられるのか、
何も解決しないままの結末なのです。
しかしながら決して中途半端で
終わっているわけではありません。
「私」は第四の世界で、
「関西大震災」の被災者として、
その世界での自分が何者であるか、
力強く歩み始めるのです。

最後まで読んで、読み手ははじめて
本作品が単なるSF作品ではなく、
「自分」という不確かなものに
真剣に向き合う人間の
物語であったことに
気づかされるのです。
この、帰還不能の解決しない筋書きこそ
本作品の第二の
味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。

本作品の発表は1981年
(作品世界も1981年)。
第四の世界での「関西大震災」は、
まさに14年後の1995年に起きた
阪神淡路大震災を
予見したかのような設定です。
現代とは違い、当時は巨大地震が
ほとんど起きていない時期でした。
死者104人を出した
日本海中部地震でさえ1983年です。
81年以前では、
死者54名の十勝沖地震1968年が
直近であり、その間、
大きな地震災害は起きていないのです。
その中にあって
「関西大震災」を想起したのですから、
SF作家の想像力は
計り知れないものがあります。

本作品の味わいどころ③
眉村卓の自伝的異世界小説

実は本作品、
第三の世界へ突入するまでは、
「あり得た現実」から「実際の過去」を
回想する部分が多くを占めているため、
SF作品というよりも
ノスタルジック小説を読んでいるような
錯覚を覚えます。
SFらしくなるのは第三の世界で
近未来的管理社会に
落ち込んだ部分からなのです。
なぜこのような展開を、
作者・眉村は構築したのか?
巻末の解説を読んで
その謎が解けました。

「本来の世界」での「私」の経歴は、
ほぼ作者本人のそれを
擬えているのです。
大阪大学経済学部を卒業、
専攻は予算統制論、
在学中は柔道部所属、
同時に俳句や詩の創作にいそしむ、
卒業後は
大阪窯業耐火煉瓦株式会社入社、
岡山県の工場に赴任、
その後本社資材課勤務など、
それらは作中の「私」に
すべて反映されているのです。
したがって本作品は、
作者・眉村が自身の生き方を回顧し、
自身の作家としての存在理由を
見つめ直した作品となっているのです。
この、眉村卓の自伝的色彩を帯びた
異世界小説としての在り方こそ、
本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。

これまで「ねらわれた学園」
「なぞの転校生」など、
ジュヴナイル作品ばかり
読んできたのですが、
実はこうした大人向け作品にこそ、
眉村卓の真価が
現れているのではないかと思われます。
もはや過去の作品と
なってしまいましたが、
ぜひご賞味ください。

(2025.10.17)

〔本作品収録書籍について〕
角川文庫版は長らく絶版中です。
出版芸術社から2012年に刊行された
「眉村卓コレクション 異世界篇Ⅱ」にも
収録されていましたが、
こちらも絶版となっています。

幸いなことに、P+D BOOKSより
復刊(2025年5月)しました。
紙媒体で読むならこちらです。

〔関連記事:眉村卓の作品〕
「なぞの転校生」(1967)
「侵された都市」(1967)
「まぼろしのペンフレンド」(1970)
「テスト」(1970)
「時間戦士」(1970)
「さすらいの終幕」(1970)
「ねらわれた学園」(1973)
「0からきた敵」(1973)
「ねじれた町」(1974)
「地獄の才能」(1975)
「閉ざされた時間割」(1977)
「少女」(1977)
「白い不等式」(1978)
「原っぱのリーダー」(1992)

「二十四時間の侵入者」
「闇から来た少女」

〔角川文庫・眉村卓作品〕

EnriqueによるPixabayからの画像

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「最終戦争」
「カンタン刑」
「幽霊小家」

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