「鼓くらべ」(山本周五郎)②

「競争」について考えたこと

「鼓くらべ」(山本周五郎)
(「松風の門」)新潮文庫

「すべて芸術は、
 人の心をたのしませ、清くし、
 高めるために役立つべきもので、
 そのために誰かを負かそうとしたり、
 人を押退けて
 自分だけの欲を満足させたりする
 道具にすべきではない。
 鼓を打つにも、絵を描くにも、
 清浄な温かい心がない限り、
 なんの値打ちもない。」

本作「鼓くらべ」の老人が語る一節です。

芸術の技能の向上のためには
「競争」が必要である、と言われます。
だからこそ音楽であれ絵画であれ、
さまざまなコンクールが
催されているのです。
しかし「競争」は「技能の向上」のための
最も手っ取り早い手段ではあるものの、
それによって得た技能では、
人の心を動かすことはできない
という意味なのでしょう。

ところで、
最近気になっているのが
教育現場における「競争」です。
全国学力状況調査が
まもなく実施されますが、
各校の平均点だけが一人歩きし、
それをもって学校の、
もしくは教員の成果とされている
状況があります。

教育は学力だけを
身に付けさせるための
ものではないはずです。
子どもたち一人一人を
自立できる人間として
育て上げるのが使命であるはずです。
学力の向上のみを「競争」し、
その他を捨象し去るような発想は
どうかと思うのです。

私たち教員にも勤務評価が導入され、
まもなく新年度の
目標設定を行う時期となります。
ここでも数値目標を
入れることが求められます。
子どもたちの人間的な成長は
数値化できませんから、
学力、それも学習状況調査で
平均の何ポイント上を目指すかを
暗に求められます
(私の勤務する県では、
県独自の調査が12月に実施され、
それが大きな指針となっています)。

一般企業ではそれが当たり前、
教育現場はこれまでぬるま湯だったのだ、
という厳しい意見も耳にします。
しかし、
市場経済主義の数値による実績評価は
教育の世界には
馴染まないものだと思います。
そしてそれによって
子どもたちの健全な成長が
阻害される可能性があるのが
心配なのです。

かつては生徒の心を上手に掴み、
名人的な指導をする
先輩の先生が何人かいました。
私たちはその教育技術を
学び取ろうとして、
同僚どうし切磋琢磨していました。
今ではそうした風潮は
次第に薄くなりつつあります。

今回は愚痴に近い
話題になってしまいました。
教育と芸術を一緒くたにして
論じることに無理があるのは
承知しているのですが。

「鼓くらべ」を再読し、
ついついこんなことを
思ってしまいました。
申し訳ありません。

(2018.12.3)

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