「それから」(夏目漱石)③

「それから」は、超一級の恋愛小説です

「それから」(夏目漱石)新潮文庫

もう少し「それから」について
語らせてください。
前々回は代助の労働観について、
前回は代助の孤独について
書きました。
何度目かの再読の今回、
以前とは違う一面を
感じてならないのです。
本作品は実は
究極の恋愛小説ではないかという
感触です。

どこが恋愛小説だ、
と非難を浴びそうです。
確かに本作品には
「恋」の甘さも酸っぱさも、
「愛」の美しさも尊さも
描かれていません。
代助は、
今は友人平岡の
妻となっている三千代に対し、
かつて懐いていた恋心を
打ち明けるのですが…。

具体的行動はそれだけです。
人妻ですから
それ以上のことはできないのですが、
それにしても何もありません。
他人の妻に恋したのですから、
不倫以外の何物でもないのですが、
不倫小説のようななまめかしさは
もちろんありません。

そもそも代助は
恋愛についてだらしなさ過ぎです。
三年前にきちんと
告白すればよかったのに、
今頃告白する。
その結果、
友人を失い、
親兄弟を敵に回し、
世間からも白い目で見られる。

実は代助が三年前に
三千代を平岡に譲ったのは、
三千代の兄が亡くなったからなのです。
三千代・兄・代助の
三者のバランスが崩れ、
代助は三千代の兄の役割を果たし、
三千代と平岡を結びつけたのです。

では、
本作品のどこが恋愛小説なのか?
それは代助がすべてを捨てて
三千代を選ぶ覚悟をしたからです。
ではさらに、「すべて」とは?

結婚をして家庭を持てば、
そのために
人間らしいことができなくなる。
だからそれまで結婚しなかった。
でも三千代と結婚を決意する。
そうすれば
父親からの援助は期待できない。
すると生活のために
働かざるを得なくなる。
一連の流れはすべて
代助にとっては
自分のこれまでの生き方を
全否定することになるのです。

学生時代から愛読している
村上春樹の著書
「世界の終わりと
ハードボイルドワンダーランド」で、
主人公がこんな一言を発します。
「君を失うのはとてもつらい。
 しかし僕は君を愛しているし、
 大事なのは
 その気持のありようなんだ。
 それを不自然なものに
 変形させてまでして、
 君を手に入れたいとは思わない。
 それくらないら
 この心を抱いたまま
 君を失う方が
 まだ耐えることができる」。

この一節をふと思い出しました。

自分を本来の姿でないものに
変えてしまうことは、
人間にとって何よりも
堪え難いものであるはずです。
ましてや知識人にとっては
なおさらなはずです。

親兄弟や財産を捨てて恋を選ぶ。
世間を敵に回しながら恋を選ぶ。
そのような小説は
他にたくさん存在します。
しかし、
自らの生き方・主義主張を
すべて投げ捨て、
自分自身を
望まぬ姿まで変えてまでも
一人の女性を選んだのは
日本文学史上
代助ただ一人ではないかと
思われるのです。

本作品の骨格は、
あくまでも代助と三千代の
人生の行方です。
不器用な生き方しかできない
代助という人間の、
不器用なまでの女性の愛し方。
「それから」は、
その作品世界の深奥部で
「恋」と「愛」が確かに息づいている、
超一級の恋愛小説です。

(2019.2.5)

【青空文庫】
「それから」(夏目漱石)

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