「渡りの一日」(梨木香歩)①

お互いに異なるからこそ、学び合える

「渡りの一日」(梨木香歩)
 (「西の魔女が死んだ」)新潮文庫

渡り鳥を見に行く約束を、
親友ショウコに
すっぽかされたまい。
二人はショウコの母親の提案で
美術館へ向かうが、途中で
出会った友人を助けるために、
郊外の体育館行きの
バスに乗り込む。
帰りのバスがないことに
気付く二人…。

以前取り上げた
「西の魔女が死んだ」の後日談です。
「西の魔女」では、
まいの友達は登場しません。
まいは不登校生徒だったため、
同じ年代の子どもたちとの
関わりは描かれていないのです。
たった一人であれ、
友達と呼べるものができた分、
まいは一歩
前進したといえるでしょう。

もっともこのショウコという
中3女子生徒もまた、
周囲と決してうまく
いっているわけではありません。
「西の魔女」の終末部に、
ショウコのことが綴られています。
「独特のセンスと
価値観を持った子」であり、
「歯に衣着せぬ
物言いをする子」なのですが、
それ故か「何となくクラスからは
浮いていた」。
でも彼女にとって
「群れは必要な」かったのです。

バード・ウオッチング
→実術館見学
→バスケット観戦と、
次々と予定を変更するショウコに、
まいもいらだちます。
そんなまいにショウコは
「あんたはいつも
自分の立てたプランは
実行してきたじゃないか。
いいじゃないか、
一日ぐらいこんな日があったって」。

お互いに異なるからこそ、
学び合えるのです。
同質なものどうしが
寄り添って群れを形成しても、
そこから学び取れるものは
少ないのではないかと思うのです。

二人は向かった先の体育館で、
ダンプカーを運転する
女性・あやと出会います。
「私、やりたいことは
全部トライする主義なの」と
語るあやの姿から、
まいはさらに刺激を受けます。
「これからどんどん
 こんな女性が出てくるのかも
 しれない、と思った。
 まいの母親とも
 ショウコの母親とも違う、
 新しい人たち。
 いつか自分たちも
 その中の一人になるのだ。」

大勢の群れの中に
飲み込まれるのではなく、
かといって群れと決別して
一人で生きていくわけでもなく、
自分の在り方を見失わずに
他者と共存して生きていく。
これから社会に出る子どもたちに
必要な生き方のモデルが、
まいの成長途上に
余すところなく
盛り込まれているのです。

「西の魔女」とともに、
生きにくさを感じている
現代の中学生に強く薦めたい、
梨木香歩の逸品です。

(2019.2.18)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA