「ミーナの行進」(小川洋子)②

何の本を読んだかは、どう生きたかの証明でもある

「ミーナの行進」(小川洋子)中公文庫

昨日取り上げた本書の少女ミーナ。
彼女は小学校6年生にもかかわらず、
すでに川端康成の
「伊豆の踊子」「雪国」「古都」を
読破しているスーパー文学少女です。
そして病弱な彼女に代わって
「私」が図書館から借りてきた本は、
「アーサー王と円卓の騎士」(サトクリフ)、
「アクロイド殺人事件」(クリスティ)、
「園遊会」(マンスフィールド)、
「フラニーとゾーイ」(サリンジャー)、
「はつ恋」(トゥルゲーネフ)、
「変身」(カフカ)、
「阿Q正伝」(魯迅)、
「彗星の秘密」(?)、…。

小学生が川端康成を読むというのは、
高度な読解力が
必要であるという点でも、
えげつない性的表現が含まれる
文学作品を読むという点においても、
ただただ驚くばかりです。

もっとも小説の登場人物ですから、
どのようにもできるのですから
驚くには値しないのでしょうが。
でもここで注目したいのは、
本書のそこかしこに表れている
作者の読書愛なのです。
ミーナの一家は、
本を大切に考えているのです。
「どんなに高価な彫刻よりも、
 陶器よりも、
 芦屋の家では本が大事にされた。
 思い立った時すぐに手が届くよう、
 あらゆる部屋に本棚があり、
 子供でも自由に
 大人の本を取り出せた。
 ドイツ語の薬学の専門書と、
 ミーナの絵本と、
 米田さんの「主婦の友」の付録が、
 分け隔てなく平等に扱われた。」

全部で17も部屋のある豪邸の、
ほとんどの部屋に本棚がある。
何と羨ましいことでしょう。
私の家は妻と義母の名義であり
(つまり私はマスオさん状態)、
本棚があるのは私の書斎のみ。
もし宝くじで10億円当たったら、
図書館のような家を造りたいと
考えています(宝くじを
買ってすらいないのですが)。

「ミーナが部屋に入ってくる。
 本の背表紙を目で追っている。
 やがて一冊の本を探し出す。
 目指す本を引っ張り出し、
 か細い腕で抱き留める。
 ソファーに寝転がって本を開けば、
 ミーナはもう遠いどこかへ
 旅に出ている。」

こんな環境で子どもを育てたかったと
つくづく思います。
十数年後、孫ができたときには…。
本はどんどんたまるのですが、
家を建て替えるお金は
一向に貯まりません。

図書館のカウンターのお兄さんが
「私」に贈った言葉。
「何の本を読んだかは、
 どう生きたかの証明でもあるんや」

その通りだと思います。

(2019.3.1)

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