「物言わぬ鸚鵡の話」(横溝正史)

謎解きに重点を置かない「悲しいお伽話」

「物言わぬ鸚鵡の話」(横溝正史)
(「血蝙蝠」)角川文庫

口のきけぬ妹マヤのために
友人Sが贈ってくれた鸚鵡は、
話すどころか
鳴き声すら立てなかった。
その鸚鵡の舌が
切断されていたからだ。
マヤもSもふさぎ込んでしまう。
「私」はその鸚鵡の
舌の由来を調べようとする…。

文庫本にしてわずか6頁の、
横溝初期(1938)の短編です。
最終的に殺人事件が絡んできますので、
ミステリーといえないわけでは
ないのですが、どちらかと言えば
ミステリーの要素を含んだ
ショートショートと
いうところでしょうか。

病気の後遺症で
話せなくなった妹にとって、
舌を切られて鳴けなくなった鸚鵡は
不自由な我が身を
鏡で見ることと同じです。
また、
そうとは知らずに贈ったSは、
マヤと相愛の仲なのですから、
彼の心痛も察するに余りあります。
そこで「私」の謎解きの冒険が始まる…
と思い、読み進めました。

ところがその「謎解きの冒険」は
始まりそうで始まりません。
Sが買ったという鳥屋へ
「私」が出向いて入手先を調べると、
なにやら妖しい私娼窟へ。
そこへ「私」が客を装って
乗り込むという、ここまでです。

ここで事件に巻き込まれれば、
普通に長編ミステリーへと
展開していくのでしょう。
本作品においては、
横溝はあえてそうせず、
主人公「私」を事件から回避させ、
「謎解きの冒険」をさせません。

結局、謎の解明は、
その後に起きた事件と
その背景を後付けのように紹介して
終わります。
ミステリーとして読むと
肩透かしを食うことになるのです。

本作品において、横溝は
謎解きに重点を置いていません。
美しいけれども口のきけない
悲しい存在の対比を鮮明にすることで、
本作品を「悲しいお伽話」へと
昇華させているのです。
「蔵の中」から始まった、
耽美的作品の流れの一つに
あるのでしょう。

さて、鸚鵡は
人の言葉を巧みにまねるため、
小説の材料としては
使われやすい生き物なのでしょう。
有名なところでは
「ビルマの竪琴」でしょうか。
鸚鵡が重要なメッセンジャーの
役割を果たしています。
本作品と同様な、鸚鵡を素材とした
ミステリー仕立ての作品としては、
佐藤春夫「オカアサン」があります。
本格ミステリーの分野は
私はよく分からないのですが、
トリックのネタとしては
十分にありそうです。

※本作品を収録した短編集「血蝙蝠」は、
 横溝ブームの昭和50年代半ばに
 出版された文庫本です。
 高校生だった当時は、
 横溝の初期作品の魅力に
 気づけませんでしたが、
 50を過ぎた最近では、
 金田一ものよりも面白いと
 思えるようになりました。

(2019.3.3)

PixabayのCouleurによる画像です

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA