「春を恨んだりはしない」(池澤夏樹)

8年目の3.11にあたり

「春を恨んだりはしない」(池澤夏樹)中公文庫

前回、前々回と取り上げた
「双頭の船」の著者・池澤夏樹の、
東日本大震災を巡るエッセイ集です。
池澤夏樹が東日本大震災から
何を感じ、何を考えたかを知りたくて
本書を読みました。
というのも、「双頭の船」は明らかに
東日本大震災および
福島第一原発事故を
モチーフとしているにもかかわらず、
「震災」「津波」「原発」という言葉が
一切使われていないため、
よく理解できない箇所が
いくつかあったからです。

「双頭の船」では、
船が成長し半島と化します。
その意味するところは何か?
それは災害のない船上よりも、
災害が起きる可能性のある
大地の上を選択する、
ということなのです。

本書で著者は、
「災害が我々の国民性を作った」
と述べています。
「この国土にあって
 自然の力はあまりに強いから、
 我々はそれと対決するのではなく、
 受け流して再び築くという
 姿勢を身に着けた。」

そして、
「災害と復興が
 この国の歴史の
 主軸ではなかったか」

私たちは災害から
逃れることのできない国土の上に
存在せざるを得ません。
災害と共存していくといった
割り切った気持ちがないと、
復興はありえないのかも知れません。

「双頭の船」では、「空が壊れて
人間が入れなくなったところ」という
表現があります。
これは原発事故を
表しているのでしょう。

「固い 丈夫な 密封
 がんじょうな 機密性の高い 厚い
 世の事業の大半は
 こんな風に安全性を強調はしない。
 形容詞の煉瓦を積めば積むほど、
 その後ろに何か
 見せたくないモノが
 あるとわかってしまう。」

絶対安全だといわれていたものが
崩壊した。
だからそれを
「空が壊れた」としたのでしょう。

「双頭の船」では、
獣医ヴェットが動物の霊を成仏させ、
ペルーの音楽団が死者の霊を導きます。
私たちは震災死を
どう受け止めるべきだと言いたいのか。

本書で著者は、
震災死を特別な死ととらえています。
「逝った者にとっても
 残された者にも突然のことだった。
 彼らの誰一人として
 その日の午後が
 あんなことになるとは
 思っていなかった。」

だからこそ、亡くなった方も、
生きている私たちも、
作者自身も、
災害死とどう向き合うべきか
考えてしまうのでしょう。

「双頭の船」ではあえて書かずに
読み手に想像させていたものを、
本書では一つ一つ丁寧に
自分の思いとして綴っています。
両書は、作者の一つの思いから発し、
それぞれに
補完し合っているかのようです。

あれから5年が経ちました。
無事に生き続けている者の一人として、
3.11をしっかり
受け止めていきたいと思います。

(2019.3.12)

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