「方舟さくら丸」(安部公房)②

核シェルターは机上の空論

「方舟さくら丸」(安部公房)新潮文庫

核シェルターとなるべき
地下洞窟に、
「民主主義的な集団」を
つくろうとする「ぼく」。
しかし意に反して事態は進行、
支配者と被支配者からなる
軍隊的な集団ができあがる。
そしてついには生き延びるための
サバイバル戦が勃発して…。

「ぼく」が意図した
「民主主義的な集団」は、
正しい意味での
「民主主義」ではありません。
「ぼく」が目指していたのは
「ユープケッチャ」的民主主義なのです。

ユープケッチャとは(おそらく
安部が産みだした)架空の昆虫です。
自分の排泄物を餌とし、
そのため自分の糞を求めて
円を描くようにして生き長らえます。
他を捕食する必要がなく、
永久機関的な
「完璧にちかい閉鎖生態系」としての
存在なのです。

他と関わらない自己完結。
それは「ぼく」の人格そのものであり、
だから「ぼく」は
ユープケッチャに惹かれたのです。
そしてそれは
核シェルターの本質とも通じます。
全面核戦争時にはシェルターは
外界と切り離された空間として
機能しなければなりません。
従って、シェルター内で
すべてが自己完結していなければ
核シェルターたり得ないのです。

しかし永久機関が存在しないように、
「閉鎖的生態系」は成立し得ないのです。
核から生き延びるための
シェルター内で、逆に生き延びるための
サバイバル戦が始まり、
「ぼく」の描いた「方舟」は崩壊します。

全面核戦争時における核シェルターが
無意味であることなど、
現代では半ば常識です。
しかし本作品執筆当時
(1980年代初頭)はまだ東西冷戦が
継続していた時代であり、
核シェルターの必要性が
真面目に議論されていたように
記憶しています。

核シェルターなど
机上の空論に過ぎないことを、
作者・安部は見抜いていたのでしょう。
本作品で展開されるドタバタ劇は、
核シェルターに奔走する
愚かな文明人を
揶揄したものと思われます。

核シェルターを構築するのではなく、
核を廃絶することこそ
人類が生き延びる道なのですが、
本作品発表から35年、
世界の状況は変化したようには
思えません。
核兵器はますます拡散し、
隣国からはキナ臭い匂いが
漂い続ける昨今です。
本作品の存在感に
いささかも揺るぎがないのは、
作者・安部の文学性の高さ故か、
あるいは人間の愚かさ故か。
いろいろなことを考えずにはいられない
安部公房晩年の傑作長編です。

(2019.5.23)

〔追記〕
2020年に改訂版が出版されました。
現在、新潮文庫の安部公房作品は、
表紙に阿部自身の写真作品を装幀し、
統一感のあるデザインへ移行しました。
安部作品が一層先鋭的に感じられます。
ついつい買ってしまいました。
アイキャッチ画像は
新しいものに替えました。
旧デザインは以下の通りです。

(2022.8.2)

Anton SjölanderによるPixabayからの画像

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