「松風の門」「狐」(山本周五郎)

傍目には凡庸に見える婿養子が藩の危機を救う

「松風の門」「狐」(山本周五郎)
(「松風の門」)新潮文庫

亡父の後を継ぎ、
藩主として国入りした
伊達宗利は、
幼少の頃に剣を競い合った
小次郎の顔が見えないことに
不審を抱く。
家臣の話によると、
かつて神童と呼ばれていた彼は、
今ではその存在さえ人々から
忘れ去られているという…。
「松風の門」

天守閣に物の怪が
現れるという噂が
まことしやかに広がる。
事態を重く見た
国老次席の弥左衛門は、
娘婿の乙次郎に
真相を突き止めるよう命じる。
しかし乙次郎は茫漠として
つかまえどころのない男だった。
乙次郎ははたして…。
「狐」

「松風の門」は主君のために
家臣が命を落とす重い筋書きであり、
「狐」は物の怪胎児の真相が
軽妙な物語であり、読後の印象は
両者でまったく異なります。
にもかかわらず
ひとまとまりで取り上げたのは、
両者とも傍目には凡庸に見える婿養子が
藩の危機を救うという点で
一致しているからなのです。

「松風の門」の小次郎は、
神童の片鱗さえ見られなくなり、
藩の中での存在感を失っていました。
藩に一揆の騒動が持ち上がったとき、
彼は舅の治右衛門とともに
その鎮圧に向かうのですが、
自分の一存で
首謀者の浪人三名を切り捨て、
自らも切腹を果たします。

彼が己を愚鈍に見せかけていたのは、
身命を賭して主君の役に立つ
その一瞬のためなのです。
彼は幼い日に
主君の右目を失明させたことを、
償える日を待っていたのです。

「狐」の乙次郎は、
冷静に事実を見極め、
物の怪の正体を見破るとともに、
周囲が納得する解決方法を
密かに実行します。
自分の能力をひけらかすことなく、
淡々と最大限の成果を上げる姿は
実に清々しいものがあります。

弥左衛門が乙次郎を
跡継ぎとして見初めたのは、
「非凡ではいけない、平凡に限る」という
理由からでした。
しかし平凡に見えた彼は
決して十人並みではなく、
機知に富んだ侍だったのです。

「松風の門」の治右衛門も
「狐」の弥左衛門も、
悲しいことに娘婿の真価を
まったく把握できていません。
しかし小次郎については
家老の朽木大学が、
乙次郎については妻の美弥が、
それぞれしっかりと理解していました。

私たちの身のまわりにも
小次郎や乙次郎のような人物が、
目立たぬようにしながらも誠実に
仕事をしているのではないでしょうか。
それを見抜く眼を持ちたいものだと
思います。
どちらも山本周五郎らしい、
深い感動のある作品です。
秋の読書にいかがでしょうか。

(2019.11.3)

DreamyArtによるPixabayからの画像

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