「赤とんぼ」(新美南吉)①

言葉の有無にかかわらず相手の気持ちを理解できる

「赤とんぼ」(新美南吉)青空文庫

赤とんぼは
垣根の家に移り住んできた
人間のあることを知る。
それは赤いリボンのついた
帽子をかぶった
「おじょうちゃん」とその母親、
そして書生の三人だった。
赤とんぼは
おじょうちゃんの帽子に
おそるおそる止まってみる…。

おそらくは避暑のために
別荘にやってきた一家の
おじょうちゃんと、
一匹の赤とんぼとの
交流を描いた掌編です。
淡々と一夏の情景が
移り過ぎていきます。

赤とんぼはおじょうちゃんの言葉を
理解できますが、
自分の気持ちを
言葉として発することはできません。
おじょうちゃんは自分の気持ちを
言葉で表現することはできますが、
赤とんぼの言葉を
解することはできません。
意思疎通のできるはずもない二者が、
見事なまでに理解し合っている姿が
爽やかであり清々しさを感じさせます。

作者は登場人物を
絞りに絞り込んでいます。
この一家の父親は登場させず、
子どももおじょうちゃん一人のみです。
しかも母親には
何の役割も与えていません。
避暑を終えて帰るときに
「ではまいりましょう。」という言葉を
発しただけです
(これも母親の言葉ではなく
書生の言葉かも知れない)。
一方で、書生には具体的行動と台詞が
十分に与えられています。
つまり本作品の登場人物は
赤とんぼ・おじょうちゃん・書生の
三人なのです。
では書生の役割は何か?

書生は庭で行水中のおじょうちゃんに
「背中を洗いましょうか」と
持ちかけるのですが、
「いや!お母さんでなくっちゃ」と
激しく拒否されます
(現代であれば変質的行為なのですが、
もしかしたら昭和初期では
そうしたことは書生の仕事として
当然に与えられていたのかも
知れません)。
また、赤とんぼを捕まえて
おじょうちゃんの気を引こうとすると
「ばか!あたしの赤とんぼを
つかまえたりなんかして」と
逆に叱られます。
さらには蜘蛛を食い殺した罰として
赤くなったという「赤とんぼの由来」を
話して聞かせるのですが、
やはり「嘘だ嘘だ!」と
はねつけられます。

書生はおじょうちゃんと赤とんぼの間に
割って入ろうとする存在として
描かれているのです。
おじょうちゃんは
書生の言葉の裏に隠されている
邪な気持ちを
見事に見抜いているのです。

幼いからこそ純粋であり、
純粋であるからこそ
言葉の有無にかかわらず
相手の気持ちを理解できる。
何気ない情景の中に、
人間の真の心の在り方が
描かれています。
新美南吉の作品は、
童話でありながらも侮りがたい深さを
湛えています。

(2019.12.12)

ふもみんさんによる写真ACからの写真

【青空文庫】
「赤とんぼ」(新美南吉)

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