「鏡地獄」(江戸川乱歩)

物理学の領域を遙かに超えた乱歩の想像力

「鏡地獄」(江戸川乱歩)
(「江戸川乱歩傑作選」)新潮文庫

幼少期から鏡やレンズに
異常な興味を示していた「彼」は、
ついに親の遺産で
実験室を建築する。
彼はそこに籠もるようになり、
病的な嗜好は
ますます激化していった。
ある日、「私」が
「彼」の使用人に呼ばれ、
実験室に入ると…。

ありとあらゆる
奇妙な「鏡」が登場します。
光を反射させると不思議な文字を
浮かび上がらせる平面鏡、
幻影の現れる凹面鏡、
人家の中を盗み見るための望遠鏡、
私室を覗き見るサブマリン・スコープ、
異常な拡大率の幻灯、
平面鏡を敷き詰めた立方体の部屋等々、
財力に任せて製作させた
その一連の光学機器類は、
奇天烈さを通り越して
おぞましささえ感じさせます。
本作品は「鏡」に魅せられた男の、
哀れな末路を描いているのです。
彼が最後につくらせたのは、
内面を全て鏡で覆い尽くした球体。
その中に彼は一人で閉じこもるのです。

収録されている自作解説には、
この作品の着想について
次のように書かれています。
「鏡地獄の思いつきは、
 「科学画報」という雑誌の
 質疑応答欄に書いてあった
 文句から暗示を得た。
 「球体の内面を全部鏡にして、
 その中心に物を置いたら、
 どんな像が写るでしょうか」と
 書いてあった。」

半球の内側が全面鏡、
つまり凹面鏡であれば
拡大した虚像が写し出されます。
でもそれが2つ向かい合わせになって
球体になったときにどうなるのか?
立方体の内面全面が鏡であれば、
前後左右上下すべてに自分の虚像が
無限遠方まで重なっていきます。
でも球体であればどうなるのか?
思考実験しても
私の頭脳では物理学の初歩的範疇を
超えることがなく、
明確な解答を出すことができません。
しかし乱歩の頭脳は
そんな物理学の領域を遙かに超え、
人間の精神世界に及び、
本作品へと結実しているのです。

内面を全面鏡にした球体の部屋へ
自らを閉じ込めた男は、
そこで一体どんな虚像を見続けたのか?
精神を破壊するほど強烈な
何を一体見てしまったのか?
こればかりはまったく
想像すらできません。
「その球壁に、
 どのような影が映るものか。
 それは、ひょっとしたら、
 われわれには
 夢想することも許されぬ、
 恐怖と戦慄の
 人外境ではなかったのでしょうか。」

「D坂の殺人事件」のような
探偵小説でもなく、
「二銭銅貨」のような
謎解きの要素もなく、
「芋虫」のような
猟奇的作品でもないため
知名度は今一つなのですが、
乱歩の超弩級の想像力が
最も色濃く現れた作品です。
ご一読あれ。

(2019.12.29)

xreschによるPixabayからの画像

【青空文庫】
「鏡地獄」(江戸川乱歩)

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