「武侠艦隊」(押川春浪)

つまりは戦意高揚のためのイリュージョン

「武侠艦隊」(押川春浪)
(「日本児童文学大系3」)ほるぷ出版

密命を受けた前原少尉と
春枝夫人の二人は、
人外境の秘地へと辿り着く。
しかしそこには
露西亜軍事探偵の一味8人が
アジトを造っていた。
前原は果敢にも
一団を斬り伏せるが、
首領は春枝夫人を拉致し、
なおも逃亡しようとする…。

明治の奇才・押川春浪
エンターテインメント作品です。
夏目漱石以前に文壇デビューを果たし、
数々の冒険小説を著した
押川春浪ですが、なんと言っても
代表作は「海底軍艦」でしょう。
本作品はその「海底軍艦」の
シリーズ第3作に当たります。

【主要登場人物】
前原少尉
…帝国軍人。密命を受けている。
春枝夫人(浜島春枝)
…政府と関係の深い商人浜島武文の妻。
 密命を帯びている。
桜木大佐(桜木重雄)
…海軍大佐。武侠団体頭領。
武村兵曹
…桜木大佐の部下。
キツネル
…露国軍事探偵。

何しろ春枝夫人や
桜木大佐・武村兵曹は
「海底軍艦」でも活躍しています。
今度はどんな破天荒な
冒険譚になるのかと
わくわくした気持ちで読み進めました。

ところが…、
冒険と呼べる部分は冒頭に粗筋として
記した一場面以外ありません。
それもきわめて淡泊です。
一団に素手で立ち向かい、
一人の剣を一瞬のうちに奪い、
次から次へと倒すという、
超人技で片付けています。
さらに夫人を人質に取られようとも
瞬く間に相手をねじ伏せます。

それ以外の部分で語られているのは、
「日本に加担しようとする勢力の説明」と
「露西亜人は悪逆を尽くしているが
実は卑怯で臆病であるという
悪口雑言」だけなのです。

秘密裏に組織されている
海軍の裏部隊である「武侠団体」、
そしてその部隊の所有する
「海底戦闘艇」「空中軍艦」
(「海底軍艦」に続き何と
「空中軍艦」まで製造していた!)、
日本人大統領を国家元首に仰ぐ
アフリカの秘密の小国・「海光国」と
その所有する「軍艦うねび艦隊」
およびそれらが停泊している
天然の要塞「怪島」、
清国の「李進」率いる
地下軍事組織「長槍族」、
同じく清国の一大勢力の
頭首「馬玉崑将軍」、
こうした組織が、
日本に加担する勢力として
着々と軍備を進めている、という
説明が延々と続きます。

その一方で、
「日本人に媚びを売る露西亜人」
「弱者には威圧的だが
強者には尻尾を振る露西亜人」
「卑怯な露西亜人」の姿が
次から次へと描かれていきます。
現代であれば日本国内からも
バッシングを受けるであろう
低俗な内容なのです。

押川はなぜ
このような作品を書いたのか?
実は本作品の発表は1904年9月。
同年2月に開戦した日露戦争の
まっただ中なのです。
押川が本作品を執筆していたであろう
時期には、
海軍が単独で旅順港を攻撃するものの
不首尾に終わり、
その間にもバルト海に展開している
バルチック艦隊が
極東回航する情報が錯綜し、
日本国内に戦局を不安視する雰囲気が
出ていたあたりでしょう。
つまりは戦意高揚のための
イリュージョンなのです。
あたかも日本には
まだまだ秘密兵器があり、
さらには加勢する戦力が
満ち溢れている、
相手は見かけ倒し、
日本男児は優秀な民族という幻想を
描いただけなのです。

結果としてその翌年
日露戦争は日本の勝利で終結します。
「娯楽小説」という当時の
数少ないメディアによる情報操作が、
どれだけ効果を発揮したのかは
知りようがありませんが、
後の太平洋戦争の情報統制に繋がった
可能性は否定できません。

さて、現代はどうでしょうか。
コロナをめぐる情報が錯綜しています。
「単なる風邪に過ぎない」
「ワクチン接種が最大の切り札」
「大会は安心安全」
「オリンピックが開催された
くらいだから」という
種々の情報やら言い訳やらが
飛び交っているのですが、
事実なのか、それとも
楽観的イリュージョンなのか、
真剣に見極める必要がありそうです。

※当時の状況は状況として、
 昭和53年に出版された本書
 「日本児童文学大系」に
 なにゆえこのような
 作品を入れたのか?
 ほかにも少年少女向けの
 娯楽作品はいくつかあったにも
 かかわらず。
 40年以上前の出版物とはいえ、
 編者の感覚を疑いたくなりました。

(2021.8.24)

Roy SnyderによるPixabayからの画像

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