「神童」(谷崎潤一郎)

「悟り」ともいえる境地、作家・谷崎誕生の瞬間

「神童」(谷崎潤一郎)
(「潤一郎ラビリンスⅢ」)中公文庫

春之助の通って居る小学校では、
教師でも生徒でも一人として
彼の顔を知らない者は
いないくらいであった。
上は校長から
下は小使に至るまで、
自分の学校の高等一年生に
春之助と云う神童が居ると、
口々に評判をして褒めそやし…。

自分の優秀さを自覚するあまり、
周囲の人間―それがたとえ親であれ―を
蔑んだ目で見つめる少年。
いくら頭脳が明晰でも
人間として未成熟であることは
いうまでもありません。
そのような子どもに出くわすと、
よほど寛容な大人でないかぎり、
胸糞悪い思いをするに違いありません。

本作品の春之助が
まさにそのような少年です。
したがって読んでいても
不快感が湧き起こるだけなのです。
この少年が一体
どんな悪さをするのだろう、
あるいは失敗をしでかすのか、
そう思いながら読み進めても、
展開は一向に変化しません。最後に
芸術を志すことが記されたところで
本作品は幕を閉じます。

大正4年に発表された
谷崎潤一郎の中篇である本作品、
筋書きそのものは
さして面白くはありません。
しかし読み手を引きつけて放さない
吸引力を持っています。
それは本作品が極めて自伝に近い
作品であるからなのでしょう。

春之助同様、谷崎もまた幼い頃から
「神童」と呼ばれ、周囲から
一目も二目も置かた存在だったのです。
そして父親が身代を傾けて
家計が逼迫していたのも同じ、
住み込みの家庭教師をしながら
中学校進学を果たしたのも同じ、
谷崎は幼き日の自分の境遇を、
本作品の中で
惜しげもなく開陳しているのです。

味わいどころはやはり
終末の独白部分でしょう。
将来は聖人として世の中に君臨し、
人を導くことを志していた春之助は、
性への目覚めの訪れとともに
次第に堕落していきます。
それでいながら自身が天才であることに
微塵も疑いを感じていません。
その結果、「悟り」ともいえる境地に
達するのです。

「己は子供のころに
 己惚れていたような
 純血無垢な人間ではない。
 恐らく己は
 霊魂の不滅を説くよりも、
 人間の美を歌うために
 生まれて来た男に違いない。
 己が自分の本当の使命を自覚して、
 人間の美を讃え、宴楽を歌えば、
 己の天才は
 真実の光を発揮するのだ。」

まさに作家・谷崎潤一郎
誕生の瞬間なのでしょう。

本作品には同様の自伝的作品
「異端者の悲しみ」も収録されています。
こちらは本作品のその後、
つまり文壇デビュー前の
青年期を描いた作品です。
二作品を続けて読めば、
天才児がいかにして
日本を代表する作家になったか、
その魂の変遷をつかむことができます。

凡人には小説を書くなど
到底不可能であることを実感させる
谷崎の作品です。
読後感の良い小説ではありませんが、
一読の価値ある作品です。

(2022.3.1)

freestocks-photosによるPixabayからの画像
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