嵐の夜に、医科学怪談。
「按摩」「死体蠟燭」（小酒井不木）
（「小酒井不木集 恋愛曲線」）
ちくま文庫
按摩は、
それから彼が恋の敵を殺すに
至るまでのいきさつを
凡そ一時間近くも話した。
さすがの彼も、
もう煙草どころではなく、
段々話が進むにつれ、
好奇心が恐怖に変って、
いわば鷲につかまった雀が、
鷲から懺悔話をきいて…。
「按摩」
｢恋愛曲線｣｢人工心臓｣など、
医学的知見を生かしたミステリ作品を
書いた小酒井不木。
その作品集にはまだまだ多くの
魅力的な作品が収められています。
今日取り上げるこの二篇もまた、
背筋も凍る衝撃的な作品です。
【｢按摩｣主要登場人物】
｢彼｣
…雇った老按摩から恐ろしい話を聞く。
ヘビースモーカー。
老按摩
…盲人になった恐ろしいいきさつを
語る。途中から語り手｢私｣。
老按摩の語る話は、
｢目をつぶせばニコチン中毒など
たちどころに治る｣というもの。
なぜなら老按摩自身が、
自ら目をつぶしてモルヒネ中毒から
抜け出したからなのです。
そのいきさつとは…？
かつて人を殺したが、
相手の血が右眼に入り、
猛烈な痛みとなる。
医者を買収し、隠匿してもらう。
モルヒネでその激痛を取り除く。
毎日、殺人の時刻に痛みは始まり、
七日目についに右眼は光を失い、
さらにモルヒネ中毒となる。
日が経ち、全身に針を刺した結果、
もはや指すべき場所は残った左眼だけ。
ついにはその左眼に注射針を突き立て、
失明に至る。
マッサージを受けながら
話を聞いていた｢彼｣は、
｢全身にはげしい寒さを感じ｣るほどの
恐怖に襲われるのです。
わしは坊主となって四十年、
ずいぶん人間の焼ける
においを嗅いだ。
はじめはあまり
心地のよいものではなかったが、
だんだん年をとるに随って、
あのにおいがたまらなく
好きになったのだ。
そうしてしまいには、
人間の脂肪の…。
「死体蠟燭」
【｢死体蠟燭｣主要登場人物】
｢わし｣
…寺の和尚。弟子･法信と二人住まい。
恐ろしい打ち明け話を語る。
法信…｢わし｣の弟子。
良順
…｢わし｣の語る話に登場する
法信以前の弟子。
｢わし｣に殺害されたという。
賽銭泥棒
…阿弥陀如来像の陰に隠れていた。
嵐の夜に、老師が弟子に語った話とは？
自分はいつの頃からか
人間の肉の焼けるにおいが
好きになった。
弟子の良順が病気をしたのを幸いに、
首尾よく毒殺した。
なるべく長い間、彼の肉の焼ける
においを嗅ぎたいと思い、
脂肪を使って蠟燭をつくりあげた。
今日までそれを愉しんできたが、
それもついに尽きてしまった。
かくなる上は法信、
おぬしに死んでもらいたい。
嵐に閉ざされた二人きりの寺の中で
和尚からそう告げられ、
光るものを振り上げられたのですから、
若い法信は身も凍る思いでしょう。
実は、老按摩と老師の話は、
最後に｢嘘｣であることが語られます。
両者とも本当は
殺人者などではないのです。
しかし、そうであっても
読み手の恐怖は鎮まりません。
二人の語りは、
｢左眼に針を打つ必然性とその恐怖｣
｢人間の脂肪を蠟燭に封じる
異様とおぞましさ｣が
それぞれ細部まで克明に描写され、
迫真性に満ちているからです。
この二篇が語りかける恐怖を、
正確に伝えられるほどの文章力を
私は持ち合わせていません。
ぜひ読んで
確かめていただきたいと思います。
｢恋愛曲線｣｢人工心臓｣は、
当時の最先端衣料を素材にした
医科学SFの感がありましたが、
この二篇は
医科学怪談ともいえる作品です。
嵐の夜にどうぞ。
〔小酒井不木のミステリ〕
21世紀に入ってから、論創社より
｢小酒井不木探偵小説選｣(2004年)、
｢小酒井不木探偵小説選Ⅱ｣(2017年)、
河出文庫から
｢疑惑の黒枠｣(2017年)、
パール文庫からは
｢少年科学探偵｣(2013年)、
そして光文社文庫
｢ミステリー･レガシー｣(2019年)と
出版が続き、
さらには青空文庫の収録も
充実してきました。
小酒井不木再評価の兆しが
見えています。ぜひご一読を。
〔本書収録作品一覧〕
恋愛曲線
人工心臓
按摩
犬神
遺伝
手術
肉腫
安死術
秘密の相似
印象
初往診
血友病
死の接吻
痴人の復讐
血の盃
猫と村正
狂犬と女
鼻に基く殺人
卑怯な毒殺
死体蠟燭
ある自殺者の手記
暴風雨の夜
呪われの家
謎の咬傷
新案探偵法
愚人の毒
メヂューサの首
三つの痣
好色破邪顕正
闘争
（2022.9.23）
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