「老村長の死」(安部公房)

政治家の、選挙区民に対する釈明のような

「老村長の死」(安部公房)
(「安部公房全集001」)新潮社

「安部公房全集001」新潮社

「諸君は私を罪人だと云う。
すかし一体、
私が何をしたでありましょうか。
私は村長として、
我が最も愛す可き
村人の為を思ってした事に
他ならぬのであります。
私は道徳の為に
やったのであります。
正義の為に
やったのであります」…。

不祥事を起こした政治家の、
選挙区民に対する釈明のような
台詞ですが、
実はまさにその通りなのです。
安部公房全集第1巻に収録された本作品、
老村長が村の集会で釈明会見を
しなければならない重圧に負け、
自宅の浴槽で溺れ死ぬという
筋書きです。

本作品は生前未発表作品であり、
この全集に初めて収録されました。
「オカチ村物語(一)」という
副題が残されていることから、
「オカチ村物語」なる作品の
序章であることが推察されるのですが、
「(二)」の原稿は見つかっていないため、
本作品を書き上げた後、
何かの事情で以降の創作を
断念したものと思われます。
最後の一文
「それから例の巡査の息子は、
 蔭で揉手し乍らほくそ笑んで居た。
 (ふふん、うまく行ったわい。)」

ある以上、このあとに
この「巡査の息子」なる人物の物語が
綴られていく予定だったのでしょう。
したがって、
本作品のテキストだけで
味わいどころを提示するのは、
実は困難なのです。

でも、それにしても「汚職」の存在が
限られた場面描写の中で
見事に表現されています。
書かれてあるのは、
村長が帰宅し、集会までの
わずかな時間(おそらく
一時間前後であろうと思われる)の
出来事だけです。
帰宅し、子どもたちの諍いを沈め、
突然演説をぶち上げ(無意識での練習)、
風呂に入ろうとして
熱すぎると妻を怒鳴りつけ
(実は適温だったのに勘違いして)、
水を開けさせたもののぬるくなりすぎ、
出るに出られなくなった末での溺死、
という顛末です。
ここには村長が何をしたのか、
まったく書かれていません。
二三日の間に、
警察から家宅捜索を受けたことと、
飼っていた子牛を
押収されたことのみが記されています。

彼が無意識のうちにぶち上げた演説
(練習)の内容から推察すると、
牛乳の売買に関わり、
法律違反となる不正を行って
私腹を肥やした、しかしそれは
村民のためであり村のためである、
よって自分には罪はない、という
論旨です。

具体的な不正の内容が
書かれていないため、
実はいろいろな状況に
置き換えが可能です。
しかも私たちはこれまで何十年もの間、
似た台詞を聞いてきました。
政治家の汚職の弁明は
聞き飽きるほど聞いています。
目新しいものではありません。

しかしながら本作品の執筆は
1945年4月前後と推定されています。
終戦間際とはいえ、
まだ帝国憲法下であり、
政治家が汚職を告発され、
その弁明に回るなどという場面が
どれだけあったのでしょうか。
当時の状況はよくわかりません。
また、安部がどのような意図で
本作品を書きはじめたのかも、
今となっては不明です。
しかしながら本作品は、
来たるべき終戦後の、
民主主義国家としての
日本の在り方を想起し、
「このようなことが起こりうる」という
予言的な指摘をしているようにも
感じられるのです。
常人の数倍先を見通していた
安部ですから、そのように考えることも
十分に可能です。

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さて、
昨年も「汚職」が数多く見られました。
「洋上風力発電事業をめぐる受託収賄」
「江東区長選挙を巡る公職選挙法違反」
「パーティ券販売のキックバックに
関わる政治資金規正法違反」等々、
日常茶飯事になり、上半期の分など
忘れ去ってしまうくらいです。
そしてそれに伴い、「政治家の弁明」を
聞き飽きるほど聞いてきました。
残念ながら安部の予想に反して、
犯罪を指摘される重圧に
押しつぶされるほど
現代の政治家の面の皮は
薄くはありませんでした。
どこ吹く風のごとく、
鉄面皮で押し通しています。

安部はこの物語の続編において、
汚職をしてした「巡査の息子」に
どのような役割を
負わせようとしていたのか。
彼は正義なのか、それとも
政治家である「村長」以上の悪党なのか、
興味は尽きません。

普通の作家が書いた作品なら、
読み手の心に
引っ掛かる部分の少ない作品として
忘れ去られると考えられます。
しかし書き上げたのが安部公房となると
いろいろなことを
ついつい考えてしまいます。
本書・全集第1巻だけでなく、
2013年に刊行された単行本
「(霊媒の話より)題未定
―安部公房初期短編集―」にも
収録されています。
残念なことに単行本は早くも絶版、
本書も流通しにくくなっています。
図書館で見つけるか、
古書をあたるかして
読んでみてください。

〔「安部公房全集001」収録作品〕
問題下降に依る肯定の批判
題未定(霊媒の話より)
秋でした
中埜肇宛書簡 1
中埜肇宛書簡 2
中埜肇宛書簡 3
或る星の降る夜
旅よ
中埜肇宛書簡 4
旅出
阿部六郎宛書簡
神話
僕は今こうやって
いてつける星
中埜肇宛書簡 5
君が窓辺に
もだえ
夜の通路
ひとり語
中埜肇宛間簡 6
ユァキントゥス
詩と詩人(意識と無意識)
嵐の後
歎き
静かに
暁は白銀色に
中埜肇宛書簡 7
観る男
そら又秋だ
誠に愛を
僕のふれたのは
友来てぞ
没落の書
老村長の死(オカチ村物語1)
没我の地平
中埜肇宛書簡 8
第一の手紙〜第四の手紙
様々な光を巡って

化石
厚いガラスや
白い蛾
無名詩集
中埜肇宛書簡 9
中埜肇宛書簡 10
終りし道の標べに
四章・書出しに
牧草
中埜肇宛書簡 11
中埜肇宛書簡 12
悪魔ドゥベモオ
憎悪
異端者の告発
タブー
生の言葉
Memorandum1948
名もなき夜のために

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