「虚妄」(安部公房)

真実でないこと・うそ・いつわり・虚偽・そらごと

「虚妄」(安部公房)
(「題未定 安部公房初期短編集」)
 新潮文庫

「題未定 安部公房初期短編集」新潮文庫

「虚妄」(安部公房)
(「安部公房全集002」)新潮社

「安部公房全集002」新潮社

彼女が笑うのは見たことがない。
まるで笑うために必要な筋肉が
どれか不足しているようなのだ。
しかし聞き分けることはあった。
ごくまれに喉の奥で
くつくつと断続する
微かな息の乱れを
聞くことがある。
しかしそれが笑いなどと…。

またしても難解な
安部公房初期作品です。
まずは登場人物から。

〔登場人物〕
「彼女」「K」「Q」

…笑わない女。
「僕」
…語り手。「彼女」について語る。
M
…「僕」の友人。転がり込んできた「K」
 (「彼女」)と同棲していたが、
 あまりの反応のなさに
 部屋から追い出す。

この「彼女」が理解不能の女性です。
名称の表記から謎めいています。
冒頭部では「彼女」として
語られていたものが、
唐突にMの台詞中で
「K」「Q」という呼称が現れます。
しかも元夫のもとでは「K」、
Mとの同棲後は「Q」。
呼び名の違いは何なのか?
一緒に暮らす男によって
名前すら変わるのは
いったい何を表しているのか?
そして「僕」は固有名詞を与えず
「彼女」であるのはなぜか?

それはともかく、
「彼女」は「笑わない女」です。
それは性格が暗いということとは
異なります。
そもそも「暗い表情」だの
「悲しい顔」だのといった記述は
見当たりません。
「無表情」ですらないのです。
ただ「笑わない」だけなのです。
そのような女性を想像することは
困難ですが、テキストからは
そう判断するしかありません。

さらに「彼女」は性的にも
無反応であることが記されています。
それも「不感症」でも
「マグロ女」でもないようです。
ただ単に「無反応」。
「あれと寝るとねえ、なんだか
 自瀆行為をしているような
 気持になって来るんだよ」

それに対して「僕」は
「白痴」の可能性を考えているのですが、
それも違うようです。
転がり込んだ先で、当たり前のように
掃除や裁縫をこなしているのですから、
生活能力は高い上、
転出証明を取った(作品の舞台は
戦後まもなくであり、
転出証明を取らなければ
米穀配給通帳が無効になる:
巻末解説より)上で
家出を繰り返すのですから、
そこそこ知恵は回っています。
そしてそうした家事全般で
男に尽くしているのですが、
それすら「献身的」とは異なるようです。

一方、「僕」を見たとき、
まったく感情移入できないことに
気づかされます。
自分本位であり、その論理は破綻し、
支離滅裂なのです。
そして「彼女」に対する下心や征服欲が
見え見えです。
本作品は、「僕」の目を通して
「彼女」を語ろうとしたものでないことは
明白です。
読み手の「僕」への感情移入を、
作者・安部はことごとく
拒否しているかのようです。

今日のオススメ!

一つ考えられるのは、「彼女」は
自らを求めてくる男を映し出す
「鏡」ではないかということです。
Mも「僕」も、彼女と一緒の場面では、
人間としての醜悪な部分だけが
表面に現れてきているかのようです。
もしかしたら、人間の、いや
世の中の男の、心の奥底にある
醜い欲望こそ、安部の引き出したかった
ものなのかもしれません。

作品の表題「虚妄」は、辞書を引けば
「真実でないこと・うそ・いつわり・
虚偽・そらごと」と現れてきます。
「彼女」は実在するのではなく「虚妄」、
そこに存在せず、
近寄る男の素顔を暴き出すための
「そらごと」なのだと考えると
合点がいきそうです。

いや、そんな単純な解釈で
解決するようにも思えません。
何せ安部公房作品ですから。
何度も咀嚼し、考えることこそ
大切なのでしょう。

(2024.6.6)

〔「題未定 安部公房初期短編集」〕
(霊媒の話より)題未定
老村長の死(オカチ村物語(一))
天使
第一の手紙~第四の手紙
白い蛾
悪魔ドゥベモオ
憎悪
タブー
虚妄
鴉沼
キンドル氏とねこ
 解題 加藤弘一
 解説 ヤマザキマリ

〔「安部公房全集002」収録作品〕
虚妄
鴉沼
中田耕治宛書簡1
文芸時評
平和について
二十代座談会 世紀の課題について
絶望への反抗
中田耕治宛書簡2
物質の不倫について
虚構
ドストエフスキイ再認識について
創造のモメント
薄明の彷徨
横顔に満ちた人
友を持つということが
夜のうた
悲歌
手のひらに
悪夢のやうに
一切が僕等に
牧神の笛
芸術を大衆の手へ
蛸壺の思想
憂愁
荒野の端に
さうだ、町も村も
折釘となつて
けづりたわめられた
夜だつた
複数のキンドル氏
キンドル氏とねこ
宣言
世紀の歌
真のアヴァンギャルドに
いつごろからか
デンドロカカリヤ 雑誌「表現」版
大島栄三郎宛書簡
カフカとサルトル
灰色の交響詩
シュールリアリズム批判
「革命の芸術」は
 「芸術の革命」でなければならぬ!
MEMORANDUM 1949
啞のむすめ
文学と時間
中埜肇宛書簡13
中埜肇宛書簡14
夢の逃亡
中埜肇宛書簡15
中埜肇宛書簡16
イメージ合成工場
序‐大島栄三郎詩集
 「いびつな球体のしめっぽい一部分」
中埜肇宛書簡17
芸術の運命
火星の夢
偶然の神話から歴史への復帰
プリニエの「偽旅券」について
C・V・ゲオルギウ著「二十五時」
中埜肇宛書簡18
「紙片」のこと
写真屋と哲学者(ストリンドベルク作)
政治と文学
アーサー・ミラー著「セールスマンの死」
誰のために小説を書くか?
生活と芸術に体当り
 愛の「巣箱」の新進作家

 第1部 S・カルマ氏の犯罪
 第2部 バベルの塔の狸
 第3部 赤い繭
  赤い繭
  洪水
  魔法のチョーク
  事業
 あとがき「壁」
大きな砂ふるい

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